縞帖(1857年)(安政四年嶋染集帳)

切本帖(きれほんちょう)とは?『平戸長崎オランダ商館日記』に記載されている染織品について


1602年、オランダが「東インド会社」を設立し、インドネシアのジャワを拠点に、みんや日本と交易を開始します。

この頃になってヨーロッパの文明が、島国の日本に影響を与えるようになるのです。

江戸時代に海外との交易拠点となっていた平戸ひらどや長崎にあったオランダ商館歴代館長が記した公務日誌『オランダ商館日記』には、数々の染織品の記載があります。

永積洋子(著)『平戸長崎オランダ商館日記(全4冊)』に記載されている染織品には、以下のようなものがあります。

  • 天鵞絨(ビロード)
  • 羅紗(ラシャ)
  • 花毛氈(はなもうせん)
  • モール
  • ゴロフクレン
  • ジャバ敷物
  • 金襴(きんらん)
  • 緞子(どんす)
  • 紗綾
  • 繻子(しゅす)
  • 縮緬(ちりめん)
  • 綸子(りんず)
  • 羽二重(はぶたえ)
  • 更紗(さらさ)
  • 唐桟(とうざん)
  • ギンガム

『平戸長崎オランダ商館日記』以外の、具体的な資料としては、長崎出島の切本帖きれほんちょうがあります。

切本帖(きれほんちょう)とは

切本帖きれほんちょうとは、輸入された織物(反物たんもの)のハギレを貼って帳面ちょうめんに仕立てたものです。

寛永かんえい(1624年〜1644年)の頃、長崎奉行所の配下に設けられた、伽羅目利きゃらめきき(香木に精通した役人)、鮫目利さめめきき(刀のつかさやの部分を巻く鮫皮さめがわに精通した役人)、端物目利たんものめききのうち、染織品は、端物目利たんものめききが担当しました。

今日に残る、切本帖きれほんちょうは、役人側のものと、長崎、京都、江戸などの商人側で作成したものがあり、商人側が作った切本帖きれほんちょうには、品名や値段、数量や売り先、きれの色などが記されています。

江戸時代末期ごろの切本帖きれほんちょうには、更紗さらさ羅紗らしゃ唐桟とうざん奥嶋おくしま)の記載が多いようです。

江戸時代中期以降に舶来した数々の縞織物は、当時の農民階級の木綿地の普及とともに広く模様に取り入れられ、「切本帖きれほんちょう」と同じように、縞織物の見本帖である「縞帖しまちょう」が人々に作られるようになります。

縞帖(1857年)(安政四年嶋染集帳)

縞帖(1857年)(安政四年嶋染集帳)

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縞帖しまちょう」は、当時の女性たちが、織り上げた縞織物のきれを貼り付けた見本帖で、大切に扱われていました。

【参考文献】


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