唐花(唐花文)とは、現実に存在しているものと、空想上の花を集めて中国で作り上げた花模様(花文)です。
複雑で花弁がたくさんある花文をさまざまな方法で組み合わせ、華やかで美しい花形が構成されます。
唐代に盛んに染織品に用いられ、もともとはインドやペルシャ、ギリシャなどの西方的な要素を強く含み、いわゆる唐草模様と同じようにデザインのモチーフにされました。 続きを読む
唐花(唐花文)とは、現実に存在しているものと、空想上の花を集めて中国で作り上げた花模様(花文)です。
複雑で花弁がたくさんある花文をさまざまな方法で組み合わせ、華やかで美しい花形が構成されます。
唐代に盛んに染織品に用いられ、もともとはインドやペルシャ、ギリシャなどの西方的な要素を強く含み、いわゆる唐草模様と同じようにデザインのモチーフにされました。 続きを読む
七福神のうちの一つの神様である恵比寿天を模様化(文様化)したの(恵比寿文)は、古くからデザインに取り入れられてきました。
七福神とは、大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の七つの神様の総称です。 続きを読む
中国、明代の第3代皇帝である永楽帝が在位していた期間である永楽年間(1403年〜1424年)に鋳造されたはじめた銅製銭貨である永楽通宝は、日本では室町時代に日明貿易や倭寇(朝鮮および中国大陸沿岸に出没した海賊)によって大量に輸入され、江戸時代初期まで一般通貨として流通していました。
永楽通宝は、「永楽銭」や「永銭」などと呼ばれていました。
寛永13年(1636年)、徳川幕府は寛永通宝(日本の江戸時代を通じて広く流通した銭貨で幕末まで作られた)を鋳造しはじめ、寛文年間以降全国的に流通し始めると、それまで流通していた永楽通宝(永楽銭)や渡来銭などの旧銭は次第に駆逐されていきました。 続きを読む
越後上布とは、新潟県から生産される平織りの麻布です。
小千谷、六日町、塩沢を中心とした地域は、越後上布だけでなく、小千谷縮の産地としても知られていました。 続きを読む
辻が花は、室町時代末期から安土桃山時代(1573年〜1603年)にかけて流行した模様(文様)染めで、日本の染め物を代表するものであり、絞り染めの頂点ともいえます。
「辻が花」とは、室町から安土桃山時代の小袖や胴服などにみられる縫い絞りを中心に、描絵や色差し、摺箔、刺繍などを加えて独特の模様を表す染色技法を主に表しています。
辻が花は、室町時代末期から江戸時代初期のごく短い期間にのみ製作が行われ、名称の由来や技法などに不明な点が多く、遺品の数も極めて少ないことから、「幻の布」といわれることもあるほどです。 続きを読む
兎を模様化(文様化)することは、中国から月の兎の伝説とともに伝わったとされます。
日本において、兎の模様(兎文)が表現されている遺品で最も古いのは、奈良県斑鳩町の中宮寺が所蔵する「天寿国繍帳(天寿国曼荼羅繡帳)」にみられる「薬壺を前にした兎文様」です。 続きを読む
日本に梅が伝わったのは、弥生時代から飛鳥時代ごろとされ、中国から薬用の烏梅として伝来したと言われます。
梅は、薬用、食用、観賞用、そして染色用と多様な用途のある有用な植物として栽培されるようになり、梅の花は古代より人々に観賞され、愛好されてきました。
平安時代には、梅の花が春の先駆けとして咲くことから新年の希望の花とされたり、松と竹とともに歳寒三友の一つとして瑞祥の意味が与えられていました。
中国の人々は松・竹・梅を厳しい環境でもその節度を守り不変の心をもつものとして「歳寒三友(さいかんさんゆう)」と古くから讃えており、日本にもその風習が伝わっていました。 続きを読む
中国地方や四国地方の瀬戸内海地域では、江戸時代から明治時代の初めにかけて、木綿の栽培が盛んに行われていました。
愛媛県の伊予では、木綿から糸を紡ぎ、木綿織物が早くから織られていたようです。
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板締絣とは、絣糸を板締めの技法によって染色してから、織り上げた絣織物のことです。 続きを読む