奈良・平安時代の中央・地方の官庁や大寺には、穀物や財物などの重要物品を納める正倉が設けられていました。
日本中、あちこちに置かれた正倉は、今日に至るまでにさまざまな理由で亡んでしまい、現在残っているのが、東大寺正倉院内の正倉一棟だけです。これがすなわち、正倉院宝庫です。

東大寺正倉院/あずきごはん/CC BY-SA 4.0/via Wikimedia Commons,Link
16世紀ごろから、ヨーロッパの東方進出によって、インドで生産される染織品の優秀さが知られるようになります。
木綿、羊毛、絹などの織物や更紗など、優れた染織品が世界中に伝わっていき、日本にその当時に輸入された綿織物の多くもインド産のものでした。
インド更紗は、17世紀にオランダやイギリス、フランスやポルトガルなどのヨーロッパの列強が東南アジア貿易の拠点として作り上げた「東インド会社」によって、大量にヨーロッパにもたらされました。
17世紀にヨーロッパ社会に登場したインド更紗は、18世紀〜19世紀にかけてヨーロッパの文化や経済を根底からくつがえす大きな力の一つとなったのです。 続きを読む
井桁の読み方は「いげた」であり、井桁模様は古くから織りや家紋などのデザインに使用されてきました。 続きを読む
唐衣は、公家の女子が正装時に着用したもので、表着の上に着用した短衣でした。
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綛糸とは、紡いだ糸を巻き取る道具である桛枠(綛枠)に糸を一定の回転巻いて枠から外し、その糸を束ねたものを表します。
単に、「綛」ともいい、この方法や一つに束ねる分量は、糸の種類によって異なります。 続きを読む
編み物技術の起源としては、はっきりとしたものはありませんが、編み物(ニッティング)は、およそ3000年前に、アラビア半島に住む遊牧民によって、彼らが自ら率いる羊や山羊の毛を使って行われていたとも考えられす。
編み物は、アラビアの商人や船乗りによって、徐々に他国に伝わっていき、編み手は旅する時に、編針と糸を持参して、編みながら立ち寄った港の人々に技術を伝えたとされます。
ただ、歴史的に参考になるような品々や資料は、ほとんど残ってない状況です。
現存する最古の編み物に遺品とされるものは、11世紀後半から12世紀前半ごろに作られたとされ、エジプトで発掘されたくつ下の一部です。
この時期にはすでに編み物が技術的に発達していたことが、うかがい知れるのです。
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洋服の襟を総称する言葉に、「カラー(collar)」があります。
カラーの語源は「首輪」を意味するラテン語の「コラーレ(collare)」です。 続きを読む
蚊帳は、蚊屋とも表記し、夏に蚊を防ぐために麻や木綿で作った寝床を覆うものです。
蚊帳は、古くは『日本書紀』(720年)や平安時代にまとめられた三代格式の一つである『延喜式』にその名があり、中世にはかなり使われていたようです。
江戸時代後期には、ほぼ現在でいうところの蚊帳の形となりました。
蚊帳に使用される材料は、本麻のみ・平麻(麻と木綿)・木綿のみが多く用いられてきました。
蚊帳の染色には、藍で染められた水色、柿渋で染められた茶色、色は黄緑色系統の色である萌黄、苅安(刈安)と藍染を併用した緑などの色が染められていました。
竹や針金などを骨組みにして、子供用の小さな蚊帳である母衣蚊帳も作られました。