有松絞りは、鳴海絞りとも呼ばれます。
有松と鳴海は、ともに旧東海道五十三次の宿場町ですが、有松で絞り加工されたものが、賑やかな隣町の鳴海で盛んに販売されたため、鳴海絞りの名で全国的に有名になったのです。
このことは、安藤広重の「東海道五十三次・鳴海の宿」の江戸浮世絵の中にもみることができます。
目次
有松絞り(ありまつしぼり)の歴史
有松絞りの発祥は、江戸時代初期の慶長年間(1596年〜1613年)に、竹田庄九郎が旅人にお土産品として、蜘蛛絞りの手拭いを染めたことに始まるとされています。
その後、この地に移住してきた豊後(現在の大分県)の医師であった三浦玄忠の妻によって、豊後の絞り技法が伝えられました。
これが、絞り染めの技法の一つである三浦絞りの由来です。
有松絞りの商人には、尾張徳川藩によって、数々の特権が与えられ、発展していきました。
江戸時代初期におこった木綿の藍染絞りを特色として、発達していきました。
なかでも有松絞りを有名にしたのは、明治時代になってから鈴木金蔵によって考案された嵐絞りです。
絞られた模様が斜線を表現していて、嵐の時の横なぐりの雨のような様子であることから、嵐絞りと名付けられました。
絞り染めは、纐纈と呼ばれ、その技法は飛鳥時代や奈良時代の頃に中国から伝えられたものですが、さらにそこからさかのぼると、絞り染めはインドが発祥とされます。
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有松絞りは、もともと浴衣や手拭いなどの木綿の絞りとして発達していきましたが、時代とともに京都の絹織物にも影響を与えていきました。
絞り染めの発展に貢献した木綿と藍染
江戸時代になり、広く木綿が普及していくにつれて、藍染がいっそう全国的に行われるようになります。
絞り染めの発展に大きく関係していたのは、木綿と藍染の普及です。
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適度な浸透力があり、針で縫いやすい材料である木綿は、絞り染めをする素材に適していました。
木綿が普及する以前に一般的に着用されていた麻は、素材に張りがあるため、細かな縫い絞りは難しかったのです。
浸透力がそこまでなく、布に染み込みにくいという藍染の特徴は、絞り染めをした布を染めるのに適していました。
また、藍染は絞り染めに適した素材である木綿と染色における相性がよく、染まりが良かったという点も絞り染めが発展した理由として挙げられます。
有松絞りの種類と技法
有松絞りにおいて、行われていた絞りの種類と技法は数多くあります。
大別すると、縫い絞り、鍛絞り(筋絞り)、蜘蛛絞り、三浦絞り、鹿子絞り、巻き上げ絞り、板締め絞り、嵐絞り、箱染絞り、桶絞りなどが挙げられます。
全ての絞り染めの技法を数えると、200種類以上になるとも言われます。
縫い絞り(ぬいしぼり)
下絵に沿って針を縫い、最後に糸を引いて締める方法で、自由に柄を表現でき、平縫い絞りや、杢目絞り、白影絞り(折縫絞り)などがあります。
筋絞り(すじしぼり)
生地に指先で何本もの筋目を立てて、これに糸を巻いて絞る方法で、柳絞りや手綱絞り、みどり絞りなどがあります。
蜘蛛絞り(くもしぼり)
根本から糸で巻きあげ、次々に糸を切らずに粒を巻き上げていく方法で、螺旋絞りなどがあります。
嵐絞り(あらししぼり)
嵐絞りは有松絞りの代表的な技法で、明治12年(1879年)に鈴木金蔵が発案し、特許を取得し、のちに改良が重ねられました。
嵐の時の雨のような細かい線が模様として表現されるため、「嵐絞り」という名前が付けられました。
長尺(4.2m、直径10cm〜20cm)の丸太棒に布を巻き付け、これに糸をかけ、布を押し縮めたものをそのまま染めていました。
糸を布に巻き付ける間隔や糸の太さ、布を押し縮める加減によって、数多くの模様が染められます。
巻き上げ絞り(まきあげしぼり)
糸を布でつまんで括る方法で、鹿の子絞りや縦嵐絞り、千鳥絞りなどがあります。
染め分け絞り
竹の皮やビニール、桶などで防染する部分を覆う方法で、帽子絞りや桶絞りなどがあります。
桶絞り(おけしぼり)
桶絞り(桶染め)は、その名の通り、桶を使用した絞り染めの技法をいいます。
この絞染用の桶は、直径37cm、高さ24cmほどの一般的な桶を使用し、桶の口縁(縁の周辺)の部分に染める布を外側に出して並べ、防染の部分の布を桶の中に入れて、堅く蓋を染めます。
桶をそのまま染料中に浸し、模様によっては、一つの桶に1反〜4反くらいまで入れたようです。
桶染めは、京都、桐生、そして有松などで染められていました。