衣服と染織模様は、世界中のそれぞれの土地で発達していきましたが、歴史的にみると西洋と東洋という大きな括りでも基本的なスタイルの違いをみつけることができます。
模様に関しては、世界各地にさまざまな柄が存在していますが、それぞれの地域や国、民族などの思想や生命観、宇宙観といったものを反映していました。
歴史的には、西洋には西洋の模様があり、東洋には東洋の独自の模様があり、それぞれ人々に育まれてきたのです。
衣服(ファッション)においても、もちろん一概には言えることではありませんが、西洋と東洋の特徴や違いを挙げることができます。
目次
ヨーロッパの衣服(ファッション)の特徴
ヨーロッパの衣服(ファッション)は、立体的な体のラインに対して、いかに布地をフィットさせるかが衣服構成の基本となっていました。
また、ギリシャやローマの基本的な衣類であったチュニックは、もともと無地のものが中心でした。
ヨーロッパの衣服(ファッション)は、いかに美しいシルエットの衣服を作り上げるかが大事にされ、布地につけられた模様が衣服の中心になるのはあまりありませんでした。
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中世のヨーロッパにおいては、王侯や貴族などのごく一部の権力階級は、東洋からもたらされた豪華な模様のある絹織物を着ていることがありました。
一般市民や農民は、ごく普通で粗末な無地の織物を身につけることが一般的でした。
ゴシックやバロック期に流行した絹織物の模様は、シノワズリ(chinoiserie)といわれる極めて東洋的な模様でした。
シノワズリ(chinoiserie)とは、ヨーロッパで流行した中国趣味の美術様式ことを表し、中国語を意味するフランス語「chinois(シノワ)」に由来しています。
シノワズリは、17世紀以降、ヨーロッパの貴族や富裕層の間で大流行した中国風のデザインの総称として使われ、家具や陶磁器、壁紙などが流行しました。
ヨーロッパは、もともと無地やモノクロが普通な服飾様式でしたが、インドやペルシャ、中国などの東洋から花のモチーフや染色技法、素材としての絹や木綿などの素材を導入することによって、さまざまな模様の世界が広がったのです。
東洋や日本の衣服の特徴
日本の着物には無地のものは少なく、模様が視覚的にも大きな要素となっています。
平面的な着物では、衣服自体が絵画的なキャンバスのようになっているのです。
現在のイランやイラク、トルコやレバノン、イスラエルやサウジアラビア、エジプトなど、いわゆるオリエントと呼ばれる国々の衣服も、日本の着物と同じように、衣服を一つのキャンバスとして模様を美しく染め上げたり、織りで表現するのが重要な要素になっていました。
オリエントの意味は、ローマから見て、「太陽の昇るところ」の意味でしたが、現在でも英語で Orient とは「東洋」を意味し、ヨーロッパでは広い意味のオリエントに、モロッコからエジプトを経て、インド、中国、日本なども含まれています。
模様と色彩、衣服における西洋と東洋の違い
西洋の模様は、東洋や日本と比較すると、円や直線、曲線などの図形によって構成されている幾何学的な柄が多く、キリスト教が広まってからは、写実的な側面がありました。
西洋の模様が多彩になったのは、17世紀〜18世紀になり、東洋から数多くの染織品が輸入されるようになってからのことです。
オリエント地域や日本は、絵画的な風景や花などの植物など具体的な模様が多いのが特徴的です。
色彩面においても、ギリシャやローマなどの衣服で見るような白や、黒と赤、サフランイエローなどのモノクロの世界に対して、オリエントでは多彩な染料による有彩色の世界が広がっていました。
色彩面においても、ヨーロッパが多彩な色合いを持つようになったのは、オリエント地方からキリスト教がもたらされてからとされます。
下記の表は、模様と色彩における西洋と東洋の違いをまとめたものです。
西 洋(ヨーロッパ) | オリエント(東洋) | 日 本 | |
文様の性格 | 幾何・抽象的(ギリシャ)写実的(キリスト教社会) | 写実的(ペルシャ)、抽象的(イスラム) | 絵画的 |
文様の形態 | 幾何、植物 | 動物、幾何、更紗 | 花、風景、具象 |
文様の構図 | 総柄、ボーダー柄 | 総柄、連続文様 | 総柄、パネル(絵羽)柄 |
文様の表現形式 | 量感(ボリューム) | フラット | フラット、ライン(線) |
文様の色彩 | モノクローム(単色)/ポリクローム(多彩色) | ポリクローム(多彩色) | モノクローム(単色) |
モチーフの表現法 | モチーフを抽象化 | モチーフを写実表現、モチーフを抽象化(イスラム) | モチーフを写実表現 |
文様の象徴性 | 形と色による表現 | 形による表現 | 形による表現 |
衣服と文様の相関性 | 衣服の形が優先、文様は付属する | 文様が優先する | 文様が優先、衣服の形は従属する |
全体の特徴 | オブジェ的、立体的、象徴的 | 装飾的、平面的 | 装飾的、平面的 |
模様の発生と呪術性(じゅじゅつせい)
人類がいつから模様を描くようになったのかは定かではありませんが、人類が行える最も原始的な芸術行為として、古くから行われていたことは間違いありません。
アルタミラ洞窟には、紀元前35,000~前11,000年の後期旧石器時代に描かれたとされる彩色された牛や馬などの壁画や線刻画が残っています。
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紀元前30,000年ごろのメソポタミアのスーサから出土した土器には、人類初めてとされる四角文や三角文が描かれています。
最も原始的なデザインですが、同時に三角文は男女の結合を象徴し、その結果として生まれる社会を表しているとされます。
下向きの三角は女性を表し、上向きの三角形は男性を象徴し、連続模様としての鱗文は、当時発達し始めた農耕社会のシンボルとしての呪術性を表しているとされます。
今日では、何の意味も持たないと考えられるような上記の幾何学模様の発生起源は、当時の人々の生への願いや健全な生活への願いを込めた呪術性から生まれたとも考えられます。
人類が文明を持つようになり、エジプト、メソポタミア、中国、インドなどの国において、数多くの模様が作られるようになります。
エジプトのピラミッドにある装飾壁画が、死後の再生や転生の祈願を込めて、広大な宇宙の回転を象徴する渦巻き模様や星形模様などが描かれたりしています。
絶対君主制の確率が早かったペルシャでは、権力の象徴として聖獣文が王家とその権力を表すシンボルとして、染織や工芸、壁画のレリーフに多用されました。
西欧社会においても、模様がある種の呪術性をもって登場しています。
古代ギリシャの赤絵や黒絵に描かれたギリシャ神話のモチーフは、人間とは遠いようで近い存在であったギリシャの神々の姿をわかりやすく表現し、華やかな神々の世界の喜びや悲しみ、怒りなどの感情を表現しています。
また、ギリシャの神殿の柱頭(西洋建築の柱の上端。柱と梁の接する部分)のコリント様式やドーリア様式などの建築様式に使用されるアカンサス(Acanthus mollis)の葉は、不死や再生の象徴として、ギリシャ時代から長くヨーロッパの歴史の中で使用されてきた模様です。
アカンサスの葉は、のちに「ローマ巻き」とも呼ばれる唐草模様としてオリエントに伝わっただけでなく、中国や日本にも、唐草模様の原点として伝わったとも考えられています。
古代人にとっての模様は、生への祈願であり、外敵や災難、死などの不条理に対して、種々の願望をかなえようとする行為(呪術)の表れと考えられます。
模様は、古代から近世に至るまでの長い間、呪術の世界の象徴として、また王者の権威の象徴として、宗教的絶対者のシンボルとして、庶民の生活への祈願として、世界中で創造され続けてきたのです。
模様の多くが呪術の世界から解放されたのは、ほんの数百年前のことにすぎません。
日本における松竹梅のデザインや、国連の旗にみるオリーブの葉のデザイン、オリンピックの月桂樹の冠など、現在では形式化したとはいえ、模様の呪術性が完全に失われたという訳ではないのがわかります。
【参考文献】『月刊染織α1985年6月No.51』