銘仙(めいせん)とは?銘仙の技法について

銘仙めいせんは、群馬県の伊勢崎いせさきが有名で、「銘仙めいせんといえば伊勢崎」というほど、全国的に知られていました。

銘仙めいせんは、平織りの絹織物の一種で、目専、目千、銘撰とも書かれ、「銘仙」の字を当てたのは明治時代以後となります。
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和綿が衰退した歴史。産業の近代化の波に飲まれ、輸入綿を原料に、和綿が切り捨てられる

木綿(cotton)は、16世紀には日本国内での栽培が広まっていき、17世紀初頭ごろには飛躍的に発展していきました。

木綿は庶民の日常的な衣服となり、江戸時代の経済と政治において、一貫して重要な役割を果たしていました。

しかし、明治維新を経て、殖産興業しょくさんこうぎょう政策のもとで、決定的な打撃を受けることになります。

殖産興業しょくさんこうぎょう政策とは、明治政府が西洋諸国に対抗し、機械制工業、鉄道網整備、資本主義育成により国家の近代化を推進したさまざまな政策のことを指します。

明治政府は、産業の近代化を「輸出振興」「輸入防遏ぼうあつ」という国家のスローガンを掲げ、輸出輸入の両面から綿業は、中核的戦略産業として位置づけられました。

外国の質の高い綿糸や綿布に負けないように、綿業の近代化は国家的な課題とされていたのです。 続きを読む

鎌倉時代後期の生活様式や服装などがわかる『春日権現験記(かすがごんげんけんき)』

春日権現験記かすがごんげんけんき』は、 鎌倉時代の絵巻物で延慶えんきょう2年(1309年)に、時の左大臣であった西園寺公衡さいおんじきんひらの発案によって描かれました。

絵は、宮廷絵所の長であった高階隆兼たかしなたかかねによって描かれ、詞は、鷹司基忠たかつかさもとただとその息子達によって書かれています。

春日権現験記かすがごんげんけんき』は全21巻(うち1巻は目録と序文のみ)で、春日大社に奉納されました。 続きを読む

染色・草木染めにおける柏・槲・檞(かしわ)。薬用効果や歴史について

かしわ(学名:Quercus dentata)は、その若葉をお餅に包んだ「かしわ餅」の名前でも知られている植物です。

漢字では、かしわのほか、かしわかしわの字が当てられ(以下、かしわの表記に統一)、「ほそばがしわ」、「たちがしわ」、「もちがしわ」、「おおがしわ」など多くの異名があります。

種名の「dentata」は、葉っぱの形が、のこぎりの歯のようにぎざぎざした形状(歯状しじょう)なっていることを意味しています。
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蓼藍(タデアイ)

蓼藍(タデアイ)の種類と色素含有量について

藍染に使用できる色素を持った植物は、世界中に100種類以上あるとされています。

藍の色素を持つ植物を科別にすると、マメ、アブラナ、キツネノマゴ、タデ、キョウトウチク、ガガイモ、マツムシソウ、モクセイ、クロウメモドキ、キク、ヒメハギ、ランなどが挙げられます。

日本においては、蓼藍たであいの葉が藍染の原料とされ、沖縄では琉球藍りゅうきゅうあいが使用されてきました。

関連記事:藍染の原料となる植物の種類について
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デザインにおける梶の葉文(かじのはもん)。梶の枝と葉をかたどった模様(文様)について

かじの木(学名:Broussonetia papyrifera)は、クワ科コウゾ属の落葉高木で、単に梶(かじ)、または構(こう)などとも呼ばれます。

かじの枝からとれる繊維は、和紙の原料としても用いられてきました。

そんなかじの枝と葉をかたどった模様(文様)は、「梶の葉文(かじのはもん)」として古くからデザインに用いられてきました。 続きを読む

【王朝の色】平安時代の色彩。重ね着の配色美である襲色目(かさねいろめ)と十二単(じゅうにひとえ)について

平安時代になると、文学的で優美な色名が誕生します。

王朝おうちょうの色」とも呼ばれる重ね染めを巧みに駆使しながら生まれた優雅な色彩が、元々は大陸からきた文化の影響から離れて、日本独自に発達していきました。

地位や身分を示す色を「位色いしき」の規制は名目上存在してはいますが、次第に実質的には何の意味もなさなくなり、女性の装束しょうぞくに代表されるような日本独自の繊細で美しい色彩文化が平安時代に花開くのです。

平安時代の染織品は、現在ほとんど見ることはできませんが、この時代が残した美の意識や色彩が文献の随所にあらわれており、その美の創造性を高く評価することができます。 続きを読む