唐桟とは、綿織物の一種で、平織された細かな縦縞模様が特徴的です。
細い綿糸を2本づつ引きそろえた双糸 で織り上げることで、シルクのようなしなやかな風合いも特徴の一つでした。 続きを読む
唐桟とは、綿織物の一種で、平織された細かな縦縞模様が特徴的です。
細い綿糸を2本づつ引きそろえた双糸 で織り上げることで、シルクのようなしなやかな風合いも特徴の一つでした。 続きを読む
楓を模様か(文様化)した楓文は、掌状(指を開いた手のひらの形)の葉の美しさと、秋に見事に紅葉することから染織品のデザインに多く用いられてきました。
楓(かえで)の葉,Crusier, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons,Link
鎌倉時代の絵巻物にも楓がみられ、その後の各時代の染織品においてさまざまな楓模様が用いられました。
重要無形文化財の小袖である「淡浅葱地葵紋付楓重文辻ケ花染小袖」は、徳川家康の遺産である「駿府御分物」として尾張家に譲られた家康着用衣類の一つです。
楓を4~5枚重ねて一つの模様(文様)とし、藍の絞り染めで染められています。
ちなみに楓という名前は、葉の形が蛙(カエル)の手に似ていることから「かえるで(蛙手)」と呼ばれていたものが、後に「かえで」と呼ばれるようになったようです。
貝文(貝模様)は、帆立貝(ホタテ)や蛤(ハマグリ)、栄螺(サザエ)などの貝の模様(文様)を単独で用いたり、貝尽くしや海辺風景の一部などにしてデザインに使用されてきました。
沖縄の紅型には、紅葉や花と共に貝を散らした例が多くあります。 続きを読む
人類は、紀元前から蚕が吐き出す絹糸(シルク糸)を利用してきました。
中国においては、長きにわたって絹に関する技術は国外秘にされていましたが、絹織物は、古代ギリシャのアレクサンダー大王(紀元前356年〜紀元前323年)の頃から絹の交易の道であったシルクロードを通じて輸出されていました。
絹織物の名前である甲斐絹(かいき)は、海気や改機、海黄、加伊岐などとも表記されてきました。
甲斐絹(かいき)は、もともと慶長(1596年〜1615年)以前にオランダ人が貿易で日本にもたらした織物とされます。
寛文年間(1661年〜1673年)に、甲斐絹(かいき)に倣って甲斐(現在の山梨県)の郡内地方で同じような織物を生産し、これを「郡内海気」や「郡内」と言いました。
明治時代の初め頃から、産地の名前にあやかって「甲斐絹(かいき)」の字を当てたとされます。
経糸、緯糸に染色した絹練糸を用いた平織物で、色糸の使い分けによって無地や縞柄、格子や玉虫、雪降などの種類があります。 続きを読む
ガマズミ(学名Viburnum dilatatum)は、レンプクソウ科(スイカズラ科)ガマズミ属で樹高が2〜3mになる落葉樹で、日本各地で自生しています。
Viburnumはラテン語でガマズミの古名に由来するといわれ、dilatatumは「広がった」の意味があり、葉っぱの形に由来します。
江戸時代の薬物についての知識をまとめた本(本草書)には、ガマズミの漢字は、「莢蒾」と記載されています。
莢蒾の莢は「豆類の種子を包む殻」を表し、「蒾」は「染め」を意味します。 続きを読む
草木染めを行う際、乾燥保存してある材料を使用して染める場合と、採取したばかりでまだ乾燥していない植物を使用して染める場合とで大きく2パターンあります。 続きを読む
窠に霰文(かにあられもん)は、有職文様のひとつで、霰の地紋、すなわち石畳文の上に、窠文を互の目、あるいは並列に配したものです。
有職文様とは、平安時代以降の公家社会において装束や調度、輿車、建築などに用いられた伝統的な模様(文様)で、窠に霰文(かにあられもん)も平安貴族の服飾に多く用いられたとされます。 続きを読む