沖縄における絣織物(琉球絣)には、独特な幾何学文様があります。
線で構成したこれらの絣柄は、18世紀後半の御絵図帳で高度に完成したと考えられます。
「御絵図帳」とは、琉球王国における首里王府の絵師たちによってまとめられた絣の図案集です。
「御絵図帳」とは、琉球絣が貴重な貿易商品だった時代、王国に収める貢納布を織らせるために模様や染色などを細かく指定したものです。
目次
琉球絣の歴史
古代資料の『おもろそうし』(琉球王国尚清王時代の嘉靖10年(1531年)から尚豊王代の天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された歌集)には、「あやもどろ」や「あけもどろ」などの表現が見られることから、14世紀から15世紀に南方の外国から沖縄に伝来した初期の絣は、斑に染めた絣糸が秩序なく織り込まれた乱絣であったと考えられています。
その後、数百年の年月にかけて絣の技術が培われ、美しく整然とした絣柄の「御絵図帳」が生まれたのです。
明治時代に入ってから、絣の技法に変化があり、従来の手結絣や摺り込み絣の他に、絵図絣や織那覇などにみられる藍染の抜染をした抜染絣などの新しい染色技術が発達しました。
沖縄の絣織物の技法
摺り込み絣(すりこみがすり)
摺り込み絣としては、沖縄県八重山郡周辺で作られていた八重山上布と琉球絣が有名です。
八重山上布の摺り込みの技法は、日本語の「絣」の語源と関連を持つといわれ、その歴史は古いと考えられます。
摺り込みに使用する染料は、紅露(クール)という東南アジアから沖縄に自生するヤマノイモ科の植物で、その根を染料にします。
絣糸は必要な長さと本数を綾頭(アヤツブル)と呼ばれる四面の木枠に整経し、通常、絣糸は、糸を部分的にヒモなどで括ることで防染してから染色しますが、摺り込み絣の場合は筆を使用し、図案通りに糸に色を摺り込んでいきます。
手結絣(てゆいがすり)
手結とは、もともと手括りの意味ですが、文字通り手作業で、綿糸やビニールヒモを使って糸を括りながら染まらない部分を作ります。
糸は、等間隔に括ってから染色し、織る段階で緯糸を引きずらして様々な柄を織り出していきます。
絵図絣(えずがすり)
絵図絣といっても絣が絵模様になっている意味ではなく、絵図台(種糸台)を用いて図案の種糸をつくる種糸絣の意味です。
図柄は、琉球らしい幾何学文様が特徴的で、この技法は明治の頃に本土から逆移入した技法とされています。
織締絣(おりしめがすり)
織締絣の技法は、明治40年(1907年)に奄美大島の永江伊栄温氏によって考案され、沖縄にも伝わりました。
織締絣とは、締機と称する大型の織機を用いてつくり出す絣のことです。
締機は、絣を固く締めるために、手織り機の数倍重く、丈夫に作られています。
布を織る要領で、強く緯糸を織締めすることで、その部分が染色時に染まらなくなります。
手結する際の括り糸と同じ役割ですが、織締絣の利点としては、小さくて細かい絣を効率よく作り出すことができる点です。
点のように小さな絣は、組み合わせによっては、菊やぼたんなどの花柄や、平安時代の牛車などのような具体的な形状を表現することができます。
【参考文献】『月刊染織α1983年5月No.26』