帷子とは、裏地のない単衣(単物)の着物です。
ただし、江戸時代末期ごろから、絹や木綿でできた裏地のない着物を単に単衣といい、帷子は麻布でできた単衣の着物を特に表すようになっています。
帷子(かたびら)とは?裏地のない単衣の麻着物
江戸時代後期に出版され、三都(京都・大阪・江戸)の風俗や事物を説明した一種の百科事典である『守貞謾稿』(天保8年(1837年)に記録を始め、嘉永6年(1853年)成立)には、礼服用に用いる麻布について以下のような記述があります。
「奈良晒布を本とすれども今は越後ちぢみ或は数寄屋縮等を専用」とあります。
麻布の色に関しては、「浅葱水あさぎ等の淡色を専らとす黒は更に用ひず紺もなきにあらず縹空もあれども先きは淡色多し」とあります。
女装の場合は、「處女(未婚の女性)は裾模様 婦も新婦は同上 年長は定紋のみを専らとす」とあり、礼服では必ず白絽・白晒布などの下襲を用い、襦袢とともに三襟を重ねたようです。
晴服用の帷子には、麻布・絽・越後縮及び薩摩の紺絣、絹上布や定紋付なども時に応じて着用したようです。
日常で着用する帷子には、京都や大阪では奈良縞(奈良晒の縞物)を、江戸では越後縞(越後上布の縞物)がよく用いられたようです。
浴衣(ゆかた)の語源は湯帷子(ゆかたびら)
浴衣の起源は、平安時代の貴族や僧侶が入浴する際に着用した「湯帷子」にあると考えられます。
江戸時代中期(18世紀初頭)になって、庶民の間でも湯船に浸かる湯浴が一般的になり、湯上がりの汗や水滴取りや湯上がり直後の衣類として、単衣の浴衣が着られるようになりました。
綿の栽培が盛んになり、庶民の間でも広く使用されるようになったことが、木綿で作られた浴衣が普及していった大きな要因となりました。
上記の『守貞謾稿』には、「近年浴後ノミニ非ズ、卑賤ノ者ハ単衣及帷子ニ代へ用フ(近年は、浴後だけではなく、身分や地位が低い者達は、単衣の着物や帷子(夏に着るひとえの着物)の代わりに着用する)」とあり、幕末から湯上がりだけなく、普段着にも使用され始めていたことがわかります。
茶屋染(ちゃやぞめ)と帷子
茶屋染は、江戸時代初期頃から行われていた型染めの一つです。
主に武家の女性が着用した帷子の染色方法で、藍色一色で型紙を用いて全体に模様が入るように(総模様)染めたものです。
茶屋染されたものは、「茶屋辻」と呼ばれていました。
茶屋染の「茶屋」とは染屋の意味であり、京都に住んでいた茶屋四郎次郎(ちゃや・しろうじろう/しろじろう)が染色方法や図案の創案者であるともいわれます。
茶屋辻の「辻」とは、帷子(裏地をつけない単衣の麻着物)のことであり、「茶屋の帷子」という意味となります。