赤は、それを見る人に動的な感じを与え、暖かみを与えるような色合いです。
赤は、中国では五色の一つとされていました。
古く中国では、青(藍)、赤(朱)、黄、白、黒(玄)の五つの色を「五色」としており、五色は、正色とされ、その中間の色を「間色」として、間色は正しくない色であり、聖人君主は用いる色ではないとしていました。 続きを読む
赤は、それを見る人に動的な感じを与え、暖かみを与えるような色合いです。
赤は、中国では五色の一つとされていました。
古く中国では、青(藍)、赤(朱)、黄、白、黒(玄)の五つの色を「五色」としており、五色は、正色とされ、その中間の色を「間色」として、間色は正しくない色であり、聖人君主は用いる色ではないとしていました。 続きを読む
紅花(学名:Carthamus tinctorius)は、キク科ベニバナ属で花弁を植物染料にします。
秋に種をまいて、冬を越して春になってから開花、結実してから枯れる越年草(二年草)として生育したり、寒い地域では一年草として春早い時期に種をまく場合もあります。
紅色の染料としての用途のみならず、食用油の原料としても栽培されています。
桜は、古くから人々に親しまれてきました。
7世紀後半から8世紀後半(奈良時代末期)にかけてに成立したとされる日本に現存する最古の和歌集である『万葉集』には、4,500首以上歌が集められていますが、桜を詠んだ歌が非常に多く、「桜の花」、「桜花」、「山桜」、「山桜花」などとあり、40首が収められています。
ただ、桜が染色に用いられるようになったのは近年になってからと考えられます。
江戸時代には「桜鼠」など色名がありますが、桜自体を使用したわけではなく、桜色がかった鼠色のことを指していると考えられます。 続きを読む
ヨーロッパの花の中でも、古くから観賞用として人々に愛され、美術や工芸の模様におけるモチーフとされてきたのがバラ(薔薇)です。
日本においても古くからバラが栽培されていたとされ、バラを描いた美術や工芸品も残っています。
平安時代には、中国からコウシンバラ(庚申薔薇)が渡来していたと考えられており、「古今和歌集」や「枕草子」、「伊勢物語」や「源氏物語」などから、バラが観賞されていたことがわかります。
関連記事:デザインにおけるバラ(薔薇)
歴史的には、紅花のように花を染料にして染めことは行われてきましたが、バラの花びらを使った染色というのは、ほとんど行われなかったと考えられます。
一般的には花びらは染まりにくく、たとえ染まったとしてもすぐに色あせてしまうものとされてきました.
ただ、花びらを使用した染色において、バラの花が活用されることがあります。 続きを読む
花を染料にして染める行為は、古くからおこなわれてきました。
特に有名なのが紅花で、赤系の色を染めるのに重要なものとされてきました。
紅花以外にも、杜若や、萩、露草などの花摺りであったり、槐花(槐)、金銀花(すいかずら)、向日葵なども染料とされていました。
紅花染めが色の移ろいが激しい染料として、数々の歌にも読まれているように、一般的には花びらは染まりにくく、たとえ染まったとしてもすぐに色あせてしまうものとされてきました。 続きを読む
正倉院薬物に記された正倉院宝物の中には、ラック(紫鉱)が残されており、染色に使用されていた可能性もあります。
ラック(紫鉱)は、紫梗や紫鉚などとも書き、江戸時代には花没薬として薬用の他、染色にも利用されてきました。 続きを読む
蘇芳(学名Caesalpinia sappan)はインドやマレーシアなどの熱帯地域に自生しているマメ科ジャケツイバラカ亜科の植物です。
蘇芳は成長すると樹高が5~10メートルになり、幹にはトゲが多く、葉は鳥の羽が並んでいるような形の羽状複葉で、5月から6月ごろに円錐花序を出し、黄色い花を咲かせます。
蘇芳は、その芯材に含まれるブラジリン(brazilin)と少量のヘマティン(天然赤色色素が染料として使われてきました。 続きを読む
赤芽槲(久木)は、トウダイグサ科のアカメガシワ属で、学名はMallotus japonicusです。
赤芽槲(久木)は、新芽が赤いことから名付けられたもので、樹皮は灰褐色で若枝が赤褐色をしています。
日本においては、本州から沖縄まで生育し、台湾や中国の山野にも分布しており、成長すると10mを超える大木になます。
久木や、楸、比佐岐とも書かれ、これらは赤芽槲の古名として知られています。
朴や槲の葉っぱと同じように、大きな葉っぱに食物を盛る習慣があったと考えられています。
5月〜6月ごろに小さくて黄色い花が咲き、その後に実を付け、10月ごろに成熟し、種子は焦茶色をしています。 続きを読む
江戸時代に作り出された絵具に、「花赤」というものがありました。
今では有馬の辻絵具店だけでしか、製造されていない花赤ですが、作り方は大変興味深いものです。
花赤は、酸化鉄を水につけ、毎日その上澄み液を捨てるという作業を繰り返すこと約10年かけてできます。
花赤については、下記の記事が良くまとまっています。
有馬では、湯染木綿という名前で、温泉の湯を利用して木綿布を染めたものが土産として売られていました。
温泉で染めるのは、有馬温泉だけの産物ではなく、赤い湯といわれる赤褐色に濁った酸化鉄を含む温泉であればどこでも染められるものです。
群馬県の伊香保温泉などでも、大正10年(1921年)頃まで、温泉で染めた浴衣や手拭いなどが売られていたようです。
湯染木綿の発祥がいつなのかは不明ですが、明治15年(1882年)の『湯山町輸出入物品概表』には、「湯染木綿15反15円」とあり、この頃には有馬(湯山町とは、有馬の旧地名)において湯染木綿が作られていたのがわかります。
湯染木綿が有馬土産として作られていたのは、昭和初期までとされています。
楓の葉っぱを使用し、たたき染めで模様を表現したりもしていたようです。
【参考文献】『月刊染織α 1983年No.31』