松煙墨染めと、藍染を併用した染色は古くから日本各地の紺屋で行われていました。
松煙墨染めのみで引き染めして、緑色がかった灰色である利休鼠色に染め上げる小紋が作られたりもしました。
出雲地方の祝風呂敷を染める紺屋では、糊で筒描きした生地を藍染する前に、刷毛引きする豆汁に練墨、丹殻(ヒルギの樹皮からとる染料)を混ぜて先に染めたりしていました。 続きを読む
松煙墨染めと、藍染を併用した染色は古くから日本各地の紺屋で行われていました。
松煙墨染めのみで引き染めして、緑色がかった灰色である利休鼠色に染め上げる小紋が作られたりもしました。
出雲地方の祝風呂敷を染める紺屋では、糊で筒描きした生地を藍染する前に、刷毛引きする豆汁に練墨、丹殻(ヒルギの樹皮からとる染料)を混ぜて先に染めたりしていました。 続きを読む
赤芽槲(久木)は、トウダイグサ科のアカメガシワ属で、学名はMallotus japonicusです。
赤芽槲(久木)は、新芽が赤いことから名付けられたもので、樹皮は灰褐色で若枝が赤褐色をしています。
赤芽槲(久木),Mallotus japonicus,Kirisame, CC BY-SA 3.0<https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons,Link
日本においては、本州から沖縄まで生育し、台湾や中国の山野にも分布しており、成長すると10mを超える大木になます。
久木や、楸、比佐岐とも書かれ、これらは赤芽槲の古名として知られています。
朴や槲の葉っぱと同じように、大きな葉っぱに食物を盛る習慣があったと考えられています。
5月〜6月ごろに小さくて黄色い花が咲き、その後に実を付け、10月ごろに成熟し、種子は焦茶色をしています。 続きを読む
染色においては、イオン性や非イオン性など、「イオン」という言葉がよくでてきます。 続きを読む
草木染めにおいて、鼠色ほど、多くの植物で染められる色もありません。
鼠色にも、色の幅があり、青味、紫味、赤味、茶味などを帯びた鼠色があり、それぞれ多くの色名がつけられました。 続きを読む
青縞と呼ばれる藍染された布は、埼玉県の北東部に位置する加須市や羽生市を中心に盛んに織られていた生地です。
青縞と呼ばれる理由としては、綿糸を藍染し、染め上がった糸を織ると、染めムラが独特の縞模様に見えることからその名前があります。
青縞は、仕事着である野良着や股引、脚絆、足袋などに使用され、江戸時代は主に農家の副業として青縞が生産されていました。
尾州紺木綿『江戸・明治藍の手染め』愛知県郷土資料刊行会
天明年間(1781年〜1789年)に北埼玉郡騎西町付近(現在の加須市)で農家の副業として織られたことから、この土地の名前に由来し私市縞と呼ばれたようです。
明治以降は織物をつくる事業家(機業家)によって、生産、発展してきました。
元々は、天然藍のみが使用されていましたが、明治30年(1897年)頃からは、化学藍(インディゴピュア)が使用され始めました。
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紫色は、その希少性から世界中のさまざまな場所で、高貴な色・尊い色に位置付けられていました。
地中海沿岸では貝紫(Royal purple)による紫の染色があり、その希少性から王侯貴族を象徴する色とされて、ギリシャやローマへと受け継がれました。
貝紫は、アクキガイ科に属した巻貝のパープル腺と呼ばれる分泌腺からとれる染料で、西洋では珍重されていました。
貝紫,染めた生地と対応する貝,Exhibit of the Museum of Natural History in Vienna,Photograph: U.Name.MeDerivative work: TeKaBe, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons,Link
辛夷(学名Magnolia kobus DC.)バラ科リンゴ属の落葉樹で、樹高は3~10m程度になります。
属名のMagnoliahahaはフランスの植物学者P.Magnolの名前からきており、種名のkobusは、和名のコブシに由来しています。
辛夷は、3月下旬から4月上旬にかけて、雑木に混じって枝一面に白い花を咲かせることから、春の訪れを告げる花として知られています。 続きを読む
臭木(Clerodendrum trichotomum)は、日本や中国、台湾に分布しているシソ科の落葉低木で、日当たりのよい場所で良く見られ、生長すると2m〜5mほどになります。
属名(学名の前半の部分)のClerodendrumは、ギリシャ語のKleros(運命)とdendron(木)の合字で「運命の木」という意味です。「運命の木」となったのは、ある種類が呪術に用いられたり、医薬として効果があることに由来するという説があります。
クサギ属(Clerodendrum)は、熱帯や亜熱帯地域に分布しており、欧米では花の美しいものは古くから観賞用や庭木にされています。
木の枝や葉をちぎると独特なにおいがするので、臭木という和名がつけられています。臭木の漢名は、臭梧桐で、葉っぱの形が桐の葉を小さくしたように見えることから由来しています。
臭木,I, KENPEI, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons,Link
8月〜9月にかけて枝先に白色〜薄い紅色の花が咲き、花が散ったあとに丸く紫みを帯びた濃い青色の果実が熟します。 続きを読む
江戸時代に作り出された絵具に、「花赤」というものがありました。
今では有馬の辻絵具店だけでしか、製造されていない花赤ですが、作り方は大変興味深いものです。
花赤は、酸化鉄を水につけ、毎日その上澄み液を捨てるという作業を繰り返すこと約10年かけてできます。
花赤については、下記の記事が良くまとまっています。
有馬では、湯染木綿という名前で、温泉の湯を利用して木綿布を染めたものが土産として売られていました。
温泉で染めるのは、有馬温泉だけの産物ではなく、赤い湯といわれる赤褐色に濁った酸化鉄を含む温泉であればどこでも染められるものです。
群馬県の伊香保温泉などでも、大正10年(1921年)頃まで、温泉で染めた浴衣や手拭いなどが売られていたようです。
湯染木綿の発祥がいつなのかは不明ですが、明治15年(1882年)の『湯山町輸出入物品概表』には、「湯染木綿15反15円」とあり、この頃には有馬(湯山町とは、有馬の旧地名)において湯染木綿が作られていたのがわかります。
湯染木綿が有馬土産として作られていたのは、昭和初期までとされています。
楓の葉っぱを使用し、たたき染めで模様を表現したりもしていたようです。
【参考文献】『月刊染織α 1983年No.31』
顔料(pigment)と染料(dye)という言葉がありますが、その意味の違いや特徴はどのようなものでしょうか。
現代における染料と顔料の違いと、言葉を使い分ける基準はどのようになっているのか。
上村六郎氏の『東方染色文化研究』では、染料と顔料について以下のように書いてあります。
染料とは一般に布帛に染著(染着)する性質を有するものを指し、顔料とは布帛に染著(染着)しない性質のもとを指している。従って別な云い方をすれば、染料とは色染に使用するものであり、顔料とは繪(絵)又は彫刻其他のものの彩色に使用するものである。
上記では、染料は織物などを染めるものであり、顔料は絵や彫刻などに色付けするものと言っています。
上村六郎氏の説明から読み取れることは、染料、顔料という呼び名は、その使い方と性質によって区別できるということがわかります。
染料と顔料の性質の違いとしては、物質を溶かすのに用いる水やアルコールなどの液体(溶剤)に溶ける色を染料、溶けないものを顔料として区別できます。
分子で染めるのが染料での染色で、粒子で染めるのが顔料による染色というイメージをするとわかりやすいです。
染色をする際は、顔料と染料の特徴を踏まえたうえで、用途によってうまく使い分けることが必要です。
染められたものを消費する側に立ったときでも、それぞれの特徴や違いを理解しておくことが大切なのです。
例えば、顔料をつかって染色された衣類などは、ムラになりやすかったり色落ちしやすいので、扱い方をきちんと認識しておくことで、そもそも色落ちを楽しめたり、色が落ちても変にがっかりしなくて済みます。
顔料と染料の違いというのは、なんとなくわかっているようだけれど、改めてしっかりと理解していると生活に役に立つことがあるのです。
顔料と染料は、染め方や染まり方が違うため、それぞれ違った特徴や性質を持ちます。
顔料はそれ単体では、繊維と結びつくことができないので、(素材の表面にくっつくことができない)樹脂やタンパク質、オイルなどで固着させます。
昔から友禅染では、大豆をすりつぶして水を加えた呉汁をつかって、色止めをしたりしています。
その他、顔料の特徴としては、以下のようなものが挙げられます。
顔料は、無機顔料や有機顔料に区別することができます。
無機顔料は、鉱物顔料とも言われており、日本においては化粧の原点とも言われる赤化粧には、酸化鉄を含む天然の鉱物が使用されていました。
無機顔料は、現代では化学的に合成されたもので、安全性高く、多くの生活日用品に使用されています。
有機顔料は、石油などから合成した顔料です。
染料はそれ単体で、科学的に繊維と結びつくことができます。
染料の特徴としては、以下のようなものが挙げられます。
顔料という言葉は一般的に定着していますが、実は、何度も変化を繰り返しながら今のようになっていった歴史があります。
日本において、顔料という言葉を意味する古い表現として、「彩色」「彩色物」「彩色料」などが挙げられます。『日本書紀』 では、「彩色」という言葉が出てきます。
顔料という言葉のルーツは中国にあるとされますが、中国は支那の古い名称では、丹青、または青黄といったものがあります。
938年頃、平安時代中期に作られた辞書である倭名類聚抄では、染料は「染色具」と呼ばれ、顔料のことは「圖繪具」と呼ばれていました。
鶴田榮一氏の「顔料を意味するいろいろの用語とその変遷」には、顔料という言葉を巡る歴史がわかりやすくまとめられています。
下記の図は、「顔料を意味するいろいろの用語とその変遷」からの引用です。
彩色に始まり、丹青、丹、色料、彩色、絵具などと顔料を表す言葉がさまざま存在していたことがわかります。
顔料を意味する用語は、「エノグ」と訓読されていましたが、その一覧が「顔料を意味するいろいろの用語とその変遷」にはあります。
江戸時代には漢字表示の用語として、「顔料」と書かれたものがありましたが、それも「ガンリョウ」ではなく、「エノグ」 と訓読されていたようです。
明治時代になり、近代化された顔料を製造する企業が出てきますが、江戸時代と同じように顔料は「絵具」であり、顔料への移行は進みませんでした。
その後、明治40年(1907年)に政府公式の文章で初めて今日と同じ顔料という用語が使われるようになりました。
【参考文献】「顔料を意味するいろいろの用語とその変遷」