芭蕉布は、沖縄で織られてきた織物で、戦前までは沖縄全域で生産されていました。
繊維を採取する芭蕉(糸芭蕉)は、和名でリュウキュウバショウといい、一見すると茎に見える葉柄の部分から繊維を採る葉脈繊維です。
目次
芭蕉布(ばしょうふ)の特徴
芭蕉の繊維は、湿気をよく吸収し、放熱するため、亜熱帯の高温多湿の気候に適した繊維であったことが知られています。
繊維としては、手触りにしっかりとしたハリを感じ、シャリ感があるため、肌にべとつきにくく、快適な着心地であったため、古く、芭蕉布は沖縄の人々にとって、大切な衣料となっていたのです。
芭蕉の栽培
芭蕉には、赤い花をつける花芭蕉、バナナを摂る実芭蕉、繊維を採取する糸芭蕉があります。
糸芭蕉を栽培するために適した地質としては、アルカリ性土壌で、やや湿地を好み、水はけが良いなどが挙げられます。
古くから、屋敷内や風当たりの弱い崖や斜面などで、栽培されました。
地質の条件を沖縄諸島が満たしていたことも、芭蕉が繊維として利用された大きな要因となっていたのです。
野生の糸芭蕉は、繊維が硬く、粗いため、美しい芭蕉布を織るための繊維を得るためには、入念な手入れが必要でした。
2〜3年間栽培し、下葉を落としながら生長させます。
根元と先端が同じ太さになるように生長させることで、ムラのない柔らかな繊維が摂れたのです。
芭蕉布を一反織り上げるのに、2年間丹精込めて育てた糸芭蕉が、約40本ほど必要だったようです。
ただ、南北に延びている沖縄列島では、芭蕉の生育や採集、糸の処理における工程などにおいて地域によって違いがありました。
例えば、竹富島では珊瑚礁の砂地で、なおかつやや湿地で日照の良い場所に植えていました。
竹富島では、冬に繊維が緊ったものが、夏に伐り倒され、このような冬に生育した「冬芭蕉」が上物とされました。
芭蕉布の技法
糸芭蕉の茎から剥いだ原皮は、1枚ずつ足の先でその先端を押さえ、両手で表裏2枚に裂き、分けられます。
表側の皮を糸にし、裏側の皮を絣結び用(絣の糸を括る用)にします。
大きな釜に木灰に水や熱湯を混ぜて作った灰汁を入れ、30分ほどにて不純物を取り除きます。
水洗いしてから、竹バサミで扱きながら皮の不純物を取り除き、柔らかい繊維は緯糸用にし、硬い繊維は経糸用に分けてから乾燥させます。
乾燥させてたものは、再び30分ほど水に浸してから、爪で細かく裂いて糸につなぎ、糸車で撚りをかけていきます。
絣糸は、「手結」という絵図や種糸を使わない独特の方法がよく用いられていました。
染色が終わると、絣糸の結びを解き、筬通し、綜絖通しした後、製織します。
染色と芭蕉布
芭蕉の繊維は白色ではなく、そのままでも薄茶色をしていますが、琉球藍や車輪梅(テーチキ)を使用して染色も行われていました。
糸染めして絣に織り上げる先染めと、布を藍で型染めする後染めと両方が行われていました。
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車輪梅の茶色を使用することで、しっかりと濃茶の色味を出すことができ、藍で染められたものと組み合わせた縞柄や格子柄が多く作られました。
芭蕉布に模様を出す多くの場合において、縞柄や絣模様が取り入れられていたのです。
染色していない木綿の糸を使用した縞柄などもあり、芭蕉と木綿という異なる繊維のコントラストが美しいのが特徴的です。
芭蕉布の歴史
沖縄で好まれた芭蕉の繊維は、東南アジア一帯でも利用されていたことから、沖縄がその芭蕉の利用の北限だったと考えることができます。
繊維に使用する糸芭蕉は、もともと沖縄に自生していた植物ではなく、15世紀ごろ沖縄が南蛮貿易を行っていた頃に南方から移植したと、 沖縄の染織に関する研究者であった田中俊雄氏は指摘しています。
戦前、那覇の市場では芭蕉の繊維が売られていましたが、奄美の繊維が本島のものより細く、「イットウルクスー(一斗六升という意味)」と呼ばれるものが最高としていました。
芭蕉は、渡来以前から沖縄で利用されていたと考える繊維に追いつき、尚王朝末期には、主要繊維となっていました。
沖縄では、絹や紬は王族の衣類でしたが、芭蕉は、階級性を持たず、王様から百姓まで広く利用されていました。
【参考文献】岡村吉右衛門(著)『庶民の染織』