大島紬(おおしまつむぎ)

染色・草木染めにおける車輪梅(しゃりんばい)。泥染に活用される車輪梅について


車輪梅しゃりんばいは、日本においては九州南部に自生しているものが多く、特に奄美大島ではテーチキ、テカチキと呼ばれ、大島紬おおしまつむぎにおける染料植物として有名です。

車輪梅しゃりんばいは、2〜4mほどのバラ科の常緑樹で、名前の由来は、葉っぱが枝先に車輪状に付き、4月から5月ごろにウメに似た白色の花がウメにが、円すい状に集まって開花しすることから命名されました。

ツバキ科モッコク属に分類される木斛モッコクの葉っぱに似ているところから、ハマモッコクとも呼ばれたりします。

樹皮や樹木、根っこから作られた染料が、大島紬おおしまつむぎ泥染どろぞめに使われることで知られている車輪梅しゃりんばいについて紹介します。

車輪梅(石斑木) Rhaphiolepis indica -香港樂富公園 Lok Fu Park, Hong Kong- (9240256824)

車輪梅,阿橋 HQ, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons,Link

染色・草木染めにおける車輪梅

奄美大島あまみおおしまは、薩摩藩さつまはんに治められていた期間が長くありました。

薩摩藩さつまはんは、享保きょうほう5年(1720年)、奄美の島々に対して「絹着用禁止令」を出し、島の役人以外の一般島民に絹着用を禁止しました。

この禁止令は、「つむぎ」が大島の文献にあらわれた最初のものであるとされ、この頃には大島紬おおしまつむぎが一般に普及していた可能性がうかがえます。

Colour materials of Oshima-tsumugi

大島紬,Unknown pre-war photographer, Public domain, via Wikimedia Commons,Link

奄美大島において、車輪梅しゃりんばい大島紬おおしまつむぎの歴史とともに染料として活用されてきました。

車輪梅の樹皮や材木、根っこにはタンニンや茶褐色の色素が含まれており、先に車輪梅で染めてから、泥の中の鉄分で媒染することで、黒みを帯びた茶色である黒褐色こっかっしょくに染まるのです。

車輪梅しゃりんばいを煮出して、色素の抽出を効率的に行うために石灰を加えたりします。この煮汁で染めた絹糸は、赤褐色になります。

鉄分の多い土を選んで、「泥田」をつくり、この中に浸しては揉み込みを繰り返しながら、黒褐色こっかっしょくの色合いまで染め上げていきます。

泥大島どろおおしまとも呼ばれた大島紬の絹糸は、何回も繰り返し染色されるため、糸の風合いがやわらかくしなやかに、絹特有の色のつやは消え、織り上げられたものは軽く、製品になった時にシワにもなりにくくなります。

Dyeing Oshima-tsumugi

大島紬,Unknown pre-war photographer, Public domain, via Wikimedia Commons,Link

泥染めは、大島紬の大きな特徴ですが、もう一つの特色は精緻なかすりによって、柄が構成されている点です。

古く、薩摩藩は藩の財源として大島紬の絣技術にとてつもない精巧さを要求しました。島民は、年貢品として上納するために、厳しく取り立てられた歴史があり、その苦労のなかから発展して技術であったとも言えます。

車輪梅(しゃりんばい)の染色方法

『月刊染織α1994年4月号』に、実際に染めてみた例が記載されているので紹介します。

この染色方法は、泥で媒染せずに、車輪梅を染色に用いる方法です。

車輪梅の染液をつくる

①まず、原木を砕いて、厚さ0.5cm~1cmほどのチップ状にする

②チップ30kgに炭酸ナトリウム45gを加え、水に浸かるようにして鍋に入れ、約6時間煮沸する

③染液をふるいでろ過してクズを取り除き、90リットル分に調整

④3日間後に、染色に使用する

染色と媒染

①シルク糸400gを染液16ℓで沸騰するまで加熱したあと、1時間そのまま放置して冷やす

②次に、0.02%クロムみょうばん水溶液40ℓに糸を分浸けて、媒染

③糸を自然乾燥で干した後、鍋にいれて、1or2ℓの染液をかけ、5分間揉み込み染色

④再び、染液16ℓで煮沸するまで加熱

⑤1時間、そのまま放置して冷やしてから②→③の工程を行う

⑥3回目と同じく繰り返し、4回目の煮沸染色をおこなった後、水洗いをして染色が終了

この染色によって色合いが濃い茶色となり、光に対する堅牢度が4級、重量増加率は8.9%になったようです。

田んぼで泥染

大島紬の泥染と原理的にはほどんど同じようなもので、田んぼの泥に含まれる鉄分を利用して媒染をしていく染色も行われていました。

石川県金沢市にある釣部町つるべまちにおいては古く、田んぼの泥の鉄分を利用した田んぼ染(田圃染)が行われていたようです。

田んぼ染をしていたのは、大正時代初期までで、中期以降には行われてなかったようです。

田んぼ染の原料は、山漆やまうるしの葉を干したものを煎じ、その汁を用います。

煎汁せんじゅうに漬けた布を、田んぼへ漬けて媒染することで染めたと考えらえます。

黒染めする田んぼを、泥場田どろばた泥機どろはたといいました。

【参考文献】『月刊染織α1994年4月No.157』


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