投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

越後上布(えちごじょうふ)

上布(じょうふ)とは?上布の産地や特徴について

上布じょうふとは、苧麻ちょま(からむし)の糸を用いて平織りにした上質な麻布のこといい、もともとは中布、下布に対して上質な苧麻布を表す言葉として使用されていました。

糸が細く、織りあがった布が薄手であればあるほど上質なものとされ、越後上布(えちごじょうふ)や奈良晒(ならざらし)、近江上布(おうみじょうふ)や能登上布(のとじょうふ)、宮古上布(みやこじょうふ)や八重山上布(やえやまじょうふ)などが良く知られています。

上布じょうふは、主に夏物の着尺地きじゃくじ(大人用の着物1枚を作るのに要する布地)として最高級のものとされ、白生地、紺無地、縞物しまものかすりなどがあります。 続きを読む

シャム更紗とは?暹羅(タイ)から輸入された更紗について

タイの現在の正式国名は、タイ王国(ラーチャ・アナチャク・タイ The Kingdom of Thailand)ですが、20世紀初頭までの国名は「シャム」でした。

「シャム」(syama)は、サンスクリット語由来とされますが、他国からのいわば他称に基づくものであったため、1938年に近代国家へと進んでいくなかでタイ族の国民国家として「タイ」に改称されたのです。

日本では「暹羅」と書かれシャムと呼び、14世紀頃から600年~700年ほど続いた国の呼び名でした。 続きを読む

染色・草木染めにおける福木(フクギ)。福木(フクギ)の染色方法や薬用効果について

福木フクギ(Garcinia subelliptica)は、琉球紅型(びんがた)に使用される沖縄で有名な染料植物の一つです。

フクギの属名(Garcinia)は、フランスの植物学者ガルサン(Laurence Garcin)の名前に由来しています。

日本においては、奄美大島や沖縄、八重山諸島などに分布し、同属の植物も世界中の熱帯や亜熱帯地方に分布しています。

Garcinia subelliptica (200703)

福木,Garcinia subelliptica,E-190, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons,Link

福木の木は硬く、虫害の影響を受けにくいため、建築材に使用されてきました。

また、台風や潮風、火災、干ばつなどの厳しい環境に耐えうる強さを持っているので、沖縄では古くから防風・火が燃え移らないようにする防火を兼ねた生垣や、防潮林などとして道路や沿岸に植えられてきました。

5月〜6月ごろ黄色の花を小さく咲かせ、果実は食用にはなりませんが、球体で直径3センチくらいの大きさで、熟すと黄褐色になり、中に3、4個の種子ができます。

Fukugi Tree (Garcinia subelliptica) 1

Fukugi Tree,Mokkie, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons,Link

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染色・草木染めにおける樒(しきみ)

しきみ(学名:Illicium anisatum)は、マツブサ科シキミ属に分類される常緑の小高木で、高さは一般的に2m〜5mほどに成長しますが、大きいもので10m程度にもなります。

葉は厚く、ツヤがあり、春になると(3月~5月頃)淡黄白色の花を咲かせます。

しきみの葉は日持ちし、長い間、枯れずに力強く生きる姿をみせてくれます。

樒(しきみ),Japanese star anise (Illicium anisatum)

樒(しきみ),Illicium anisatum,harum.koh, CC BY-SA 2.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0>, via Wikimedia Commons,Link

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紫根を使って灰汁媒染で染めた紫衣(しい)

紫根を使って灰汁媒染あくばいせんで染めた紫色の衣類が、紫衣しいと呼ばれていました。

中国では、古くから紫色は、間色かんじきとして遠ざけられていましたが、やがてその色の美しさから尊ばれるようになり、この考えが日本にも伝えられます。

日本では、飛鳥時代(592年〜710年)から奈良時代(710年〜794年)にかけて、個人の地位や身分、序列などを表す位階を、冠や衣服の色によって差異を付ける制度である『衣服令えぶくりょう』が存在していました。

この制度は、中国の唐代の服飾に影響されて制定されたもので、603年の冠位十二階、647年の七色十三階制、701年の大宝律令などいくつかの服色制を経てきました。

衣服令えぶくりょう』などからわかるように、紫色は、飛鳥あすか天平てんぴょう時代以後においては、天子・皇太子を除いて、臣下としては最高の位の人の衣服の色となっています。

なお、茜染あかねぞめ朱衣しゅいも、極めて濃い色は、多少の鉄分などの影響でやや紫味をもつことがあるため、時として紫衣しいと書かれることがあったようです。

色の衣類が朱衣しゅいと呼ばれ、本来は茜染された着物のことです。

灰汁媒染で染めた色が、あたかも朱のような黄赤きあか色であったので、これを朱衣しゅいといったのです。

染色・草木染めにおける椎(しい)

しいは、ブナ科クリ亜科シイ属の樹木の総称で、シイ属は主にアジアに約100種類が分布しており、日本にはこの属が分布している北限となり2種が自生しています。

大きいものは25mにも達する大木となり、5月〜6月ごろに花が咲きます。

果実は完全に殻斗かくと(どんぐりを包み、保護するもの)につつまれており2年目に熟します。

果実はいわゆる「どんぐり」であり、からを割ると中の種子は白く、生で食べるとやや甘みがあります。

しいの実は、縄文時代にはクリに次いで重要な食料であったといわれているようです。 続きを読む

埼玉県川越 喜多院所蔵 『職人尽絵屏風』「型置師」狩野吉信(1552年〜1640年)

武蔵国(武州)におけるものづくりの歴史。江戸時代の埼玉県域において有名だった地場生産物(工芸品)について

武蔵国むさしのくには、現在の埼玉県と東京都、神奈川県の一部でした。

江戸時代において、武蔵国のうち、「将軍のお膝元」である江戸城及び江戸市中は御府内ごふないと称されていました。

現在の埼玉県域は、江戸時代以降、独自の個性を活かした歩み方をするのではなく、すべてが江戸や東京という大都市との間に、密接な繋がりを持って今日に至っています。

江戸時代は、御用職人ごようしょくにん(幕府や諸藩、武家屋敷に召し抱えられた職人)や町職人、足軽や下級武士が内職として、城下町でいろいろな手工業の仕事をしていました。

武州ぶしゅうにおけるものづくりの形成を考える場合、江戸やその他の城下町形成期における職人の存在、享保きょうほう期(1716年〜1736年)以降の江戸を取り巻く経済圏の中で培われた地場生産物の職人、明治維新になってから士族しぞく(旧武家)が職人となったものなどが挙げられます。 続きを読む

染色・草木染めにおける皂莢(さいかち)

皂莢さいかち(学名:Gleditsia japonica)は、マメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ属の落葉樹で、河原藤木カワラフジノキとも呼ばれていました。

5月〜6月頃の初夏に、枝先から黄緑色の花を大量に咲かせます。

Gleditsia japonica kz2

皂莢(さいかち)の花,Gleditsia japonica,Krzysztof Ziarnek, Kenraiz, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons,Link

幹に鋭いトゲがあることや、大型のマメができることで知られ、10月頃に成熟した豆果は長さ20cm~30cmほどにもなります。 続きを読む

藍の液に浮かぶ華

藍染された布や糸から、石灰と水飴を使って顔料化する「飴出し法」

江戸時代に描かれた浮世絵うきよえには、さまざまな色が使われていましたが、藍色もその中にありました。

青の色をつくるのに露草や藍が使われていましたが、植物由来の色であるために、日に焼けて変色しやすかったり等、版画はんが向きでなかったのは想像に難しくありません。 続きを読む