餅や穀物を臼搗くのに用いる道具を、「杵」といいます。
中央のくびれた部分を手で握って、まっすぐに搗くように作られた形の手杵が、古くからデザインとして模様化(文様化)されてきました。
餅をつく行為は、縁起の良い時やお祝い事の際によく行われたため、作業道具である杵は、吉祥文として活用され、紋章にも用いられてきました。
餅や穀物を臼搗くのに用いる道具を、「杵」といいます。
中央のくびれた部分を手で握って、まっすぐに搗くように作られた形の手杵が、古くからデザインとして模様化(文様化)されてきました。
餅をつく行為は、縁起の良い時やお祝い事の際によく行われたため、作業道具である杵は、吉祥文として活用され、紋章にも用いられてきました。
本記事では、染色・草木染めを学び、理解するために役立つおすすめの本を紹介します。 続きを読む
私たちが色を感じられるのは、私たちの目に色を見分ける仕組みがあるためです。
人間の色彩感覚は、光が眼の網膜に達して視細胞を刺激して、その刺激が視神経から大脳の視覚中枢に伝えられることによって引き起こされます。
つまり、光自体に色はなく、人間の目と脳の働きによって色合いを感じられるのです。 続きを読む
「吉祥」は、良いきざしや、めでたい印を意味する言葉です。
吉祥文は、「吉祥」の意味が込められたデザインを総称します。
中国古代の『五行説』や『易経』の思想に基づくもの、宗教上の信仰によるもの、その他視覚的感情によるもの、歴史的伝説に基づくもの、言葉の発音と意味による語呂合わせ、隠語や迷言など、多種多様の吉祥文があります。
『魏志倭人伝』は、中国の三国時代についての歴史書です。
『魏志倭人伝』とは、中国の歴史書『三国志』に収められた『魏書』うちの「東夷伝」の項の「倭人」の条にあたる部分のことを通称しています。
「東夷伝」とは、中国の歴史書の中で、中国の東方に住んでいる諸民族について書かれた記述のことです。
3世紀初頭に「倭国の女王」と称された卑弥呼が、中国の三国時代に華北を支配した王朝であった魏への贈りものとして、染織品も挙げられているため、弥生時代にはすでにある程度の染織技術があったと考えられます。 続きを読む
着物を着た上に、羽織袴を着けない男子の略式の和装を「着流し」といいます。
江戸時代の男子は、小袖の上に裃や羽織袴を着けるのが正式の服装でした。
女子の場合は、羽織を着けない姿が正式であったため、「着流し」という言葉は用いられません。
江戸時代後期の文政13年(1830年)の頃、『機織彙編(きしょくいへん)』という書物の初版が発売されました。
筆者は、現在の栃木県にあたる下野国の黒羽藩11代藩主であった大関増業(1781年〜1845年)です。
大関増業は、伊予国大洲藩主であった加藤家に天明2年(1782年)に生まれ、文化8年(1811年)に、大関家の養子となり、翌年の文化9年(1812年)に領地であった黒羽(現在の栃木県)に入ります。 続きを読む
文化・文政(1804年〜1830年)の頃に活躍した歌舞伎役者である三代目尾上菊五郎にちなんだ模様(文様)に、菊五郎格子があります。
江戸時代に「判じ物(はんじもの)」と呼ばれる文字や絵画に隠された意味を当てるなぞ解きが流行しましたが、判じ物文様(はんじものもんよう)の一つとして「菊五郎格子」が知られていました。 続きを読む
江戸時代に現在の奈良県にあたる地域では、織り上げられた麻の布を白く晒した(精錬)上質な布が生産されており、当時から、奈良晒として有名でした。
化学的な技術が発展していない時代においては、いかに布を精錬・漂白(晒す)することができるかが布の付加価値を向上させるためには重要な要素でした。
奈良晒も、布を精錬する技術によってその付加価値が向上していました。 続きを読む