装束という言葉は、体の保護や威厳を示すために身にまとうものを意味しますが、特に一定の格式にかなった衣服、およびその装いを表します。
宝亀11年(780年)に書かれた『西大寺資材流記帳』の780年の項には、「羅陵王装束・・・・」とあったり、平安時代中期の10世紀後半に成立した日本最古の長編物語である「うつほ物語(宇津保物語)」には、「夏冬のしゃうぞく・・・女のしゃうぞく清げにしゃうぞく・・・」などとの記載があるなど、古くから「装束」という言葉が使用されていたことがわかります。 続きを読む
装束という言葉は、体の保護や威厳を示すために身にまとうものを意味しますが、特に一定の格式にかなった衣服、およびその装いを表します。
宝亀11年(780年)に書かれた『西大寺資材流記帳』の780年の項には、「羅陵王装束・・・・」とあったり、平安時代中期の10世紀後半に成立した日本最古の長編物語である「うつほ物語(宇津保物語)」には、「夏冬のしゃうぞく・・・女のしゃうぞく清げにしゃうぞく・・・」などとの記載があるなど、古くから「装束」という言葉が使用されていたことがわかります。 続きを読む
家屋文とは、家屋を模様化(文様化)したもので、古くは弥生時代後期頃(1~3世紀)に製造されたとされる「袈裟襷文銅鐸」に高床切妻の建物とされるものが描かれています。
古墳時代前期にあたる4世紀ごろに作られたとされる円鏡の「家屋文鏡」にも建物の模様(文様)が描かれており、古代建築を知る上で重要な史料であるとされています。
佐味田宝塚古墳出土 家屋文鏡レプリカ,Saigen Jiro, Public domain, via Wikimedia Commons,Link
染織品では、奈良県斑鳩町の中宮寺が所蔵する飛鳥時代(7世紀)に作られ、日本最古の刺繍遺品として知られる「天寿国繡帳」(天寿国曼荼羅繍帳)があります。
「天寿国繡帳」に表現されているデザインの中には家屋がみられ、7世紀中頃の染色技術や服装、仏教信仰などを知るうえで貴重な遺品とされています。
天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう)天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)Tenjyukoku embroidery,TOKYODO, Public domain, via Wikimedia Commons,Link
染織品である「屋形錦御衣」には、全面に家屋文が描かれています。
江戸時代の小袖には、藍の濃淡で染められた(茶屋染された)帷子である茶屋辻に見られる風景文(風景模様)や、『源氏物語』をテーマとした絵柄を小袖に表現されたものなど、数々のデザインのなかに家屋文が表現されています。
沖縄の紅型染にも家屋文が多く題材とされたり、絵絣には大胆なデザインの家屋文が用いられていました。
振袖とは広い意味で、身頃(体の前面と背面を覆う部分)と袖の縫い付け部分を短くして、「振り」(袖つけより下の袖の部分)を作った袖のこと、もしくは「振り」をもち小袖形の衣類全般を指します。
振袖の”ようなもの”は、室町時代(1336年〜1573年)から安土桃山時代(1573年〜1603年)にかけて、当時の文献や肖像画からみてとれます。
着用しているのは、もっぱら子供や若い女性ですが、当時はまだ「振袖」とは呼ばれず、袖も現在のように長くはありませんでした。
機能面では袖の下の一部分を解くことで、空気が通りやすくして暑さを逃がすという実用的な面もありました。 続きを読む
唐桟とは、綿織物の一種で、平織された細かな縦縞模様が特徴的です。
細い綿糸を2本づつ引きそろえた双糸 で織り上げることで、シルクのようなしなやかな風合いも特徴の一つでした。 続きを読む
楓を模様か(文様化)した楓文は、掌状(指を開いた手のひらの形)の葉の美しさと、秋に見事に紅葉することから染織品のデザインに多く用いられてきました。
楓(かえで)の葉,Crusier, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons,Link
鎌倉時代の絵巻物にも楓がみられ、その後の各時代の染織品においてさまざまな楓模様が用いられました。
重要無形文化財の小袖である「淡浅葱地葵紋付楓重文辻ケ花染小袖」は、徳川家康の遺産である「駿府御分物」として尾張家に譲られた家康着用衣類の一つです。
楓を4~5枚重ねて一つの模様(文様)とし、藍の絞り染めで染められています。
ちなみに楓という名前は、葉の形が蛙(カエル)の手に似ていることから「かえるで(蛙手)」と呼ばれていたものが、後に「かえで」と呼ばれるようになったようです。
貝文(貝模様)は、帆立貝(ホタテ)や蛤(ハマグリ)、栄螺(サザエ)などの貝の模様(文様)を単独で用いたり、貝尽くしや海辺風景の一部などにしてデザインに使用されてきました。
沖縄の紅型には、紅葉や花と共に貝を散らした例が多くあります。 続きを読む
人類は、紀元前から蚕が吐き出す絹糸(シルク糸)を利用してきました。
中国においては、長きにわたって絹に関する技術は国外秘にされていましたが、絹織物は、古代ギリシャのアレクサンダー大王(紀元前356年〜紀元前323年)の頃から絹の交易の道であったシルクロードを通じて輸出されていました。
絹織物の名前である甲斐絹(かいき)は、海気や改機、海黄、加伊岐などとも表記されてきました。
甲斐絹(かいき)は、もともと慶長(1596年〜1615年)以前にオランダ人が貿易で日本にもたらした織物とされます。
寛文年間(1661年〜1673年)に、甲斐絹(かいき)に倣って甲斐(現在の山梨県)の郡内地方で同じような織物を生産し、これを「郡内海気」や「郡内」と言いました。
明治時代の初め頃から、産地の名前にあやかって「甲斐絹(かいき)」の字を当てたとされます。
経糸、緯糸に染色した絹練糸を用いた平織物で、色糸の使い分けによって無地や縞柄、格子や玉虫、雪降などの種類があります。 続きを読む