染色において、先染め(さきぞめ)、後染め(あとぞめ)という言葉があります。
先染めと後染めの違いとしては、染色の工程を生地(布)を「織る・編む」前にするか、後でするかという点です。 続きを読む
染色において、先染め(さきぞめ)、後染め(あとぞめ)という言葉があります。
先染めと後染めの違いとしては、染色の工程を生地(布)を「織る・編む」前にするか、後でするかという点です。 続きを読む
燕子花は、アヤメ科の植物で池や沼、湿地に自生しています。
日本においても親しまれており、7世紀後半から8世紀後半にかけて編集された、現存する日本最古の歌集である『万葉集』には、燕子花が詠われています。
平安時代の歌人である在原業平思わせる男を主人公とした和歌にまつわる短編歌物語集である『伊勢物語』には、五七五七七の最初の文字を並べると「かきつはた」になる下記の一首を詠んでいます。
唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
現代語訳 (何度も着て身になじんだ)唐衣のように、(長年なれ親しんだ)妻が(都に)いるので、(その妻を残したまま)はるばる来てしまった旅(のわびしさ)を、しみじみと思うことです
古くから燕子花が日本人の美意識や情感に非常にうまくマッチしていたと言え、さまざまなデザインの題材にも用いられてきました。
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ものづくりにおいて、仕事で使用する道具を大切にできるかどうかは作り手としては非常に大切なことです。
なぜなら、道具を大切にするという取り組みの姿勢が、結果的に成果物の出来上がりの質に影響すると考えられることが多いためです。
木版画家として知られていた立原位貫氏(1951年〜2015年)は、著書の『一刀一絵』にて、仕事道具について、以下のように語っています。
いい道具は時を繋いで、いい仕事をしてくれる。使い続けることでその命が生かされていく。『一刀一絵』
立原位貫は、江戸時代と同じ手法、絵具、紙を独学で研究し再現し、それらの道具をつかって江戸時代の浮世絵の復刻を成し遂げた木版画家であり、著書である『一刀一絵』からは、道具に徹底的にこだわる姿勢が伝わってきます。
描絵とは、衣服の模様(文様)付けうちの一つの様式(スタイル)です。
墨や顔料で描いたり、染料を筆で絵の具のように用いて衣服に模様(文様)をつけていきます。 続きを読む
蓮(学名Nelumbo nucifera)は、ハス科ハス属の耐寒性落葉多年草の水生植物です。
蓮は、インドやその周辺地域が原産地とされ、世界中の熱帯や温帯地域の蓮田、泥沼、池、水田で栽培されています。
荷花文(荷花模様)の荷花は蓮の花を意味し、中国では夏の象徴として知られています。
英名ではロータス(Lotus)と呼ばれ、大きな葉を乾燥させたものは漢方薬の「荷葉」の原料となります。 続きを読む
「禾稼」、の「禾」は穀物の総称で、「稼」は実った穀物を表すため、禾稼とは穀物を意味します。
穀物の模様(文様)である禾稼文は、中国の殷代(紀元前17世紀頃〜紀元前1046年)の頃の銅器のデザインにみることができ、米や麦、粟や黍などがモチーフとなっています。
儒教の経典(十三経)の一つで、『礼記』『儀礼』とともに「三礼」を構成する書物である『周礼』には、爵位を授けられた者の穀壁に禾稼文を浮彫りにすると規定されてました。
日本における禾稼文には、稲の形を模様化(文様化)した稲文や粟(ぞく)を模様化(文様化)した粟文などがあります。
稲文は、染織品や道具のデザインにあまり使われることは少なく、紋章として比較的使われました。
また、京都伏見の稲荷神社の「束稲」にみれるように、神紋としても歴史があります。
稲文の紋には、葉のついた稲を左右から丸く向かい合わせた形を描いた抱稲なども知られています。
蓮(学名Nelumbo nucifera)は、ハス科ハス属の耐寒性落葉多年草の水生植物です。
インドやその周辺地域が原産地とされ、世界中の熱帯や温帯地域の蓮田、泥沼、池、水田で栽培されています。
蓮(はす),Nelumbo nucifera,Shin-改, Public domain, via Wikimedia Commons,Link
英名ではロータス(Lotus)と呼ばれ、大きな葉を乾燥させたものは漢方薬の「荷葉」の原料となります。
地下茎は、泥の中を這うように延び、秋の終わりに地下茎の先が太ってレンコン(蓮根)ができます。
花は、7月〜8月に咲き、多数の花弁が重なり合い、桃色や白色の花をつけます。
花が散ったあと、花床は大きくなり、蜂の巣のような穴の中に果実をつけます。 続きを読む
化学染料は、19世紀以来、近代有機化学の発達によって化学的に合成した染料を表します。
現在、利用されているほとんどの染料は、化学的に合成された染料です。 続きを読む
加賀友禅が染められてきた石川県の金沢市は、周囲を美しい山々に囲まれ、犀川と浅野川が流れる、加賀百万石の城下町でした。
この地域における染色の歴史も非常に古く、1500年代頃にはすでに「梅炭」といわれる無地染が発達し、布地を梅の皮や渋で染め、黄色味がかった赤色に染め上げたのです。
江戸時代初期には、「御国染(加賀染)」や「兼房染(けんぼうぞめ)」と呼ばれる友禅染めのような模様染めが行われていました。
このように染色の土台があった加賀において、京都から宮崎友禅斎が移り住んできたのです。
糊置の防染法が導入された江戸時代中期以降は、臙脂と藍、紫の三色を基調に暈しを加えた形式の友禅染めを特色としていました。 続きを読む