人類が文明を持つようになり、エジプト、メソポタミア、中国、インドなどの国において、数多くの模様(文様)が作られるようになります。
エジプトのピラミッドにある装飾壁画には、死後の再生や転生の祈願を込めて、広大な宇宙の回転を象徴する渦巻き模様や星形模様などが描かれました。
西欧社会においても、模様(文様)がある種の呪術性をもって登場します。
例えば、古代ギリシャの赤絵や黒絵に描かれたギリシャ神話のモチーフには、人間とは遠いようで近い存在であったギリシャの神々の姿をわかりやすく表現し、華やかな神々の世界の喜びや悲しみ、怒りなどの感情を表現しています。
古くから世界中で活用されてきた模様(文様)に、唐草模様(唐草文様)があります。
目次
唐草模様(からくさもよう)とは?
蔓草が旋回しつつ伸びるように模様化(文様化)した植物文様である唐草模様(唐草文様)は、古代エジプトやメソポタミアの遺品にもみることができます。
日本でこの様式の模様(文様)を「唐草」と呼んだのは、「唐から来た」とか、「異国風の草」というような意味からきています。
平安時代ごろには、すでに日本では「唐草」という呼称が用いられていたとされ、唐草模様は、唐草文様や唐草文や草花文などとも言い表します。
唐草模様は、植物の葉や花などの形をツル状の曲線で繋いだり、ツルだけで反復した連続模様を表します。
「唐草」は日本名で、英語やフランス語などでは「アラベスク(Arabesque)」が唐草に該当する言葉に近いですが、きちんとした同義語としての言葉はありません。
アラベスク(Arabesque)は、「Arabe」+「esque」という言葉から成り立っており、「Arabe」は「アラブ」のことで、「esque」は「~風」を表す接尾辞で、直訳すると「アラブ風」となります。
唐草模様(アラベスク)の起源
唐草模様の起源とされるアラベスク(Arabesque)については、オーストリアの美術史家であったアロイス・リーグル(1858年〜1905年)の『美術様式論』に記載があります。
「円熟期のギリシャ人は、一方、個々の文様モチーフに完全な形式美をあたえ、他方ーーそしてこれこそがギリシャ人独特の功績であるがーー個々の文様間に非常に快い結合法、すなわち「美の線」(line of beauty)リズミカルな「唐草」(蔓草)を創作した」と、リーグルは指摘しています。
エジプトにおいては、ロータス(睡蓮・蓮)とパピスルが蔓草状の連続した模様として展開されます。
これは、ロータスの花とつぼみを弧線で繋いだり、渦巻き模様と組み合わせたりしたものでした。
メソポタミアでは、棕櫚(ナツメヤシ)をもとにしたとされている図案であるパルメット(Palmette)が使用されていました。
棕櫚(ナツメヤシ)は、古代メソポタミアやエジプトでは聖樹とされ、落葉なく毎年新しい葉をつけ、枯れるまで実をつけるため、生命育成、繁栄のシンボルとされました。
ギリシャではアカントスが主たるモチーフとなって、唐草模様の原型が形成されていったとされます。
建築デザインにおけるアラベスク(唐草模様)
エジプトや古代ギリシャやローマで発生したとされる唐草模様は、建築意匠や柱頭装飾に使用されていました。
ローマの円柱の台座や墓石の装飾模様として、アカントスの葉やパルメットの花を連続させたボーダー模様として現れています。
ギリシャの神殿の柱頭(西洋建築の柱の上端。柱と梁の接する部分)のコリント様式やドーリア様式などの建築様式に使用されるアカンサス(Acanthus mollis)の葉は、不死や再生の象徴として、ギリシャ時代から長くヨーロッパの歴史の中で使用されてきた模様(文様)です。
アカンサスの葉は、のちに「ローマ巻き」とも呼ばれる唐草模様としてオリエントに伝わっただけでなく、中国や日本にも、唐草模様の原点として伝わったとも考えられています。
中東における唐草模様(アラベスク)
中東では、唐草模様(アラベスク)のモチーフがブドウやツル草、パルメット(ヤシ)、ザクロなどと豊富でした。
7世紀ごろに興ったイスラム教は、人物や動物の崇拝を禁じたことから、うずまき模様や幾何学模様を含めて多様となりました。
建築装飾から絨毯、刺繍などの模様に多く用いられたのです。
東洋における唐草模様(アラベスク)
東洋の唐草模様においては、西洋のものよりも非常に多くの種類があります。
例えば、忍冬唐草、葡萄唐草、蓮唐草、牡丹唐草、菊唐草、宝相華唐草などが挙げられます。
ヨーロッパなどの唐草が、アカンサスやブドウの葉のような葉模様であるのに対して、東洋などの唐草は主に花模様の連続によって作り出されており、蔓や草はその「付属物」といったような模様表現が多く見られます。
東洋の唐草は、その花の意味や象徴性を持って、唐草模様の意味も表現されています。
例えば、牡丹唐草は、百花の王としての富貴を象徴するもので、菊唐草は、不老長寿や延命のシンボルとしての菊をモチーフとした蔓草模様です。
蓮唐草は、仏教における瑞花としての唐草を模様化したものです。
中国には、漢時代(紀元前3世紀〜3世紀)には唐草模様(アラベスク)が入ってきていました。
中国の美的感覚とともに発展していき、唐時代には、特に吉兆(よいこと、めでたいことが起こる前ぶれ)とされる花の牡丹や芍薬、芙蓉などがデザインされました。
また、孔雀や想像上の動物である鳳凰などの鳥獣をあしらったデザインも現れるようになったのです。
日本における唐草模様
日本においては、縄文時代の岩板に唐草模様のようなデザインがほどこされ、古墳時代の馬具や刀剣類にも唐草のような透し彫りがみられます。
奈良時代に好まれたとされる唐草模様は、唐から伝来したもので、正倉院には美しい宝相華唐草をはじめ、葡萄唐草、花唐草などがあります。
唐草模様の名前の由来は、3〜6世紀に朝鮮半島南部にあった「唐、韓、加羅」、あるいは中国の7〜10世紀の「唐」から渡ってきたなどという説がありますが、はっきりとはしていません。
平安時代には、和様化の流れが唐草模様にも現れ、写実的な草花がモチーフとされていました。
宝相華唐草の表現においても、空想的な花をテーマにしたものですが、写実的な表現が加わりました。
平安時代中期の10世紀後半に成立した日本最古の長編物語である『宇津保物語』(970年頃)には、「からくさ、鳥などを彫り透かして・・・」との記述があります。
紫式部の『源氏物語』(1101年頃成立)には、「からくさを乱れ織れものと」とあったり、『今昔物語集』(1120年頃)には、「唐草の蒔絵の・・・」などとあるように、古くから唐草模様がデザインとして知られていたことがわかります。
日本においては、唐草模様はもともと仏教の装飾模様のデザインから次第に範囲を広げて日常的に用いられるようになり、着物や蒔絵の、陶磁器などにも広く使用されました。
室町時代には、中国の明から、華麗な牡丹唐草文が伝わり、模様の種類も増えていきます。
例えば、蓮唐草や瓜唐草、鉄線唐草、龍胆、若松唐草、葵唐草、菊唐草などがみられるようになりました。
【参考文献】『草人木書苑 染織大辞典1』