浮世絵とは、江戸時代初期に成立した絵画のジャンルのひとつで、暮らしや風俗、その時の流行などが反映された絵の総称を表します。
さまざまな色で表現された浮世絵ですが、実際にどのような絵具が使用されていたのでしょうか。
目次
憂き世から浮き世へ
徳川家康は、関ヶ原の戦い(1600年)で石田三成率いる西軍に勝利してから、江戸幕府を開きました。
江戸時代(1603年〜1867年)以前は、地域の領主同士が血なまぐさく争う戦乱の世であり、その時代の「うきよ」は、「憂き世」でした。
つまり、死後の世に対して、憂世はこの世を意味し、基本的には苦しみやつらいことが多く、無常な世の中である(すべての事象は、はかなく移り変わっていく)ということを表していました。
徳川幕府が開かれてから、江戸に平和と発展がみえはじめると、当時の人々にとっては、マイナスイメージの「憂世」ではなく、ポジティブなイメージで「浮世」という言葉が使用されるようになります。
そして、「浮世」が当時の暮らしや風俗、風習、そしてその時の流行などを肯定的にとらえる当世風・今様または好色・風流という意味でも使用されるようになったのです。
浮世絵(うきよえ)の誕生
浮世絵では、上記で説明した「浮世」という意味にもあるように、過去や未来を題材にして描くのではなく、暮らしの流行や風習など今現在(現世)を描くことにその特徴がありました。
浮世絵師たちは、常に時代の流行の最先端をいくテーマを追い求めながら人々の日常生活を鮮やかに描き、庶民も楽しめる娯楽を提供していたのです。
浮世絵の流通という面では、木版画によって比較的楽にオリジナルの絵を複製、大量生産できるようになりました。
古くは、公家や武家などのお金に余裕のある相手に対して商売をしていたプロの絵描き達の作品が、庶民にも価格が安く手に入れやすくなったのも、大衆文化として浮世絵が花開いた大きな要因となったのです。
浮世絵は江戸を中心に発達したため、江戸絵とも呼ばれました。
また、墨摺りした絵に、紅を主に使用して筆で彩色したもの「紅絵」と呼んだり、さまざまな色で多色擦りされた浮世絵が、色糸で地色と文様を織り出した織物の「錦」のような色合いを表したため、「錦絵」などとも呼ばれていました。
浮世絵に使用された主要な絵具
錦絵と呼ばれたように、さまざまな色が使用されていた江戸の浮世絵ですが、使用された絵具はさまざまありました。
植物由来の有機の絵具と、主に鉱物から得られる無機の絵具の二種類に大きく分けられます。
有機絵具
紅・・・紅花から抽出した赤。片紅と呼ぶものが版画に用いられ、主に口紅用に用いられたものは、本紅と呼ばれた
藍・・・タデ科の植物から抽出した青色
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露草・・・露草の花を絞り、和紙に染み込ませた青色。露草で染められた和紙を青葉紙と呼ぶ
関連記事:露草(つゆくさ)を原料にした青の染め色。浮世絵版画において、露草と紅の混色である紫色が重用された
藤黄・・・藤科の木で、その樹液を固めた黄色
鬱金・・・ウコンの根っこから抽出した黄色
黄檗・・・黄檗の樹皮から抽出した黄色
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無機絵具
弁柄・・・赤土や酸化鉄の赤、山や地下から湧き出る、鉄分を豊富に含んだ水を加熱して抽出した茶色
鉛丹・・・鉛丹は、鉛華(鉛花)、丹とも言われます。古くは、顔のお化粧に、紅と同じように使用され、『日本書紀』には、「鉛花」もつくろわず」とあるその「鉛花」が、鉛丹による化粧です。鉛丹は、鉛の酸化物の一種で、白色や黄色の酸化鉛、いっそうしっかりと酸化されると赤色の鉛丹となります。
鉛白・・・鉛白は、塩基性炭酸鉛のことで、天然産のものを唐土と言いました。鉛系統の白粉は、肌に使用すると有害なので、禁止されています。
石黄・・・硫黄とヒ素を化合して得る黄色
ベロ藍・・・700年初頭にヨーロッパにおいて発明された青色で、フェロシアン化カリウムと第二鉄が合成されたもの
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