江戸時代に描かれた浮世絵には、さまざまな色が使われていましたが、藍色もその中にありました。
青の色をつくるのに露草や藍が使われていましたが、植物由来の色であるために、日に焼けて変色しやすかったり等、版画向きでなかったのは想像に難しくありません。
葛飾北斎が「絵本彩色通」(1868年)にて「飴出し法」という藍の抽出方法を書き残していました。
飴出し法は藍染された布や糸から、消石灰と水飴を用い顔料化する技法です。
しかし、藍を顔料化するのが非常に難しく、その製造の仕方について不明な点が多いそうです。
木版画家であり、江戸時代と同じ手法、絵具、紙を独学で研究し、浮世絵の復刻をした立原位貫氏の著書『一刀一絵』にも、藍の顔料化に非常に苦労した様子が書かれています。
藍の飴出し法以外の藍の取り方に関しては、藍棒があります。
藍棒は、藍染の液を発酵させる際に表面にできる泡(藍の華)を取り除き固めたものです。
こちらも退色という点で言うと、版画には向いていないように思えます。
飴出し法の内容について詳しいことは、「化学分析に基づく飴出し法の最適化および伝統的な藍の再現」という研究課題名で松原亜美さんが研究されています。
江戸中期には、ドイツでつくられたプルシャンブルー、「ベルリンの藍」が訛って日本では「ベロ藍」と呼ばれるようになった青色の顔料が大量に輸入されはじめました。
退色しづらく、鮮やかな色を保つため、ベロ藍は葛飾北斎や歌川広重が作品に重用したのです。
上記の報告書には、「北斎の「冨嶽三十六景」は、成分分析の結果などから、江戸時代後期に日本で広まったベロ藍(フェロシアン科第二鉄)と植物性の藍の両方を使っていたと報告されている」とあります。
ベロ藍が手に入る以前には、飴出し法のように、いかに青を手に入れるかの試行錯誤の歴史がまちがいなくあったのでしょう。
現在でも、実際に浮世絵の復元をされている下井雄也さんが、飴出し法をされている様子を書いた記事を投稿しているので、それもすごく興味深いです。