描絵とは、衣服の模様(文様)付けうちの一つの様式(スタイル)です。
墨や顔料で描いたり、染料を筆で絵の具のように用いて衣服に模様(文様)をつけていきます。
描絵(かきえ)とは?
描絵は、技法的には比較的簡単なため、必要に応じて高級服飾から庶民のものまで用いられました。
現存資料で古いのは、奈良時代に作られたとされる足袋の原型といわれる親指が分かれていない麻布でできた履物である襪があり、朝顔の絵模様が描かれています。
襪は、中国から渡ってきた履物が原型とされ、古事記(712年)の中にも登場する足袋より古い履物です。
舞装束の東遊びの袍や裃にも、墨絵されたものがあります。
全国の豪族から選抜されて天皇や皇后の給仕係などとして、宮中に勤めた女官である采女の衣装である采女装束にも、顔料で彩色された絵衣や波衣があったり、賀茂の競馬装束の袴にも顔料の描絵があります。
室町時代から出現した辻が花染には、墨や朱で部分的に描絵されています。
元禄(1688年〜1704年)の頃に出現する友禅染においては、染料を絵具のように自由に使って描いたり、ぼかし染をしたり、塗ったりします。
この「描染」の手法も、描絵が発達した先のひとつの形でも言えます。
描絵の小袖(こそで)
描絵で模様(文様)が描かれた小袖は、古くは上杉謙信(1530年〜1578年)が所用したと伝えられる「金茶地練緯地描絵小袖」があります。
金色のような黄味の多い茶色の練緯地に、墨のみ一色で描絵で模様が描かれており、江戸時代前期より前の遺品資料で、描絵だけで表現された小袖・胴服の類はこの小袖だけです。
江戸時代前期から中期にかけて活躍した日本画家である尾形光琳のよって描かれた小袖に代表される高級服飾の描絵は、辻が花染とはテイストが違いますが、これも描絵の発達した頂点の一つと言えます。
尾形光琳の作品として有名なのが、白い絹地に秋草を描いた通称「冬木小袖」と呼ばれる「小袖 白綾地秋草模様」です。
重要文化財に指定されているこの小袖は、宝永元年(1709年)に寄宿した江戸・深川の材木問屋であった冬木家の夫人・ダンのために描いたといわれるため、「冬木小袖」という名称で親しまれています。
菊、萩、 桔梗、 芒といった秋草が描かれ、藍の濃淡で、上半身には 桔梗の花むらが広がり、腰から下には菊や萩が咲き乱れるように描かれています。
参照:〈冬木小袖〉について