雛形(ひいながた)は、ある物や模型や図案、模様などを人に示すのに都合が良いように、その形を小さくかたどって作ったものです。
目次
雛形本(ひながたぼん)とは?
雛形本とは、本のようにまとまったデザイン集のようになっています。
おもに江戸時代から明治時代にかけての建築や指物(金属で作った釘を使わずに組み立てられた木工品・家具)、染織などの分野で雛形本が作られました。
染織における雛形本(ひながたぼん)
古くから、衣装の模様(文様)などを人に知らせるために雛形本が作られました。
雛形本の中で、特に多く作られたのが染織関係の柄(デザイン)がわかる見本帳で、「衣裳雛形」、「文様雛形」、「小袖文様雛形」などと呼ばれることもありました。
寛文7年(1667年)に『新撰卸(しんせんおひいながた)』をはじめ、貞享3年(1686年)の『呉服模様諸国御ひいながた』、貞享4年(1687年)の『源氏ひながた』、元禄5年(1692年)の『余情雛形(よせいひながた)』など、相次いで雛形本が発行されていました。
雛形本の構成としては、和紙を袋とじにして1ページに1つの図案(デザイン)、両袖を広げた小袖の背面図に模様(文様)を、墨で木板刷りにしたものがほとんどで、江戸時代以後にはデザインに色彩が施された雛形本も数多く発行されました。
雛形本は、当時の日本における服飾(ファッション)の流行りや、その模様(文様)や加工法などを知るための貴重な資料となっています。
染織におけるデザインの見本帳
染織分野におけるデザインの見本帳は、染織技法の違いによって、縞柄の見本帳である縞帖(縞帳)や型染めの見本帳などが作られました。
縞帖(縞帳)
縞帖(縞帳)とは、自家用で作る織物の参考のために、使い終わった大福帳の上に縞柄の裂が無数に貼りつけられたものです。
織り手の女性たちにとって、縞柄の見本帳である縞帖(縞帳)は極めて大切なものとして、保存されてきました。
縞帖(縞帳)が作られるようになった時期は、民間で縞織物を織り始められてからのことで、江戸時代後期頃と考えられます。
縞帖(縞帳)の表紙には、「縞手本」や「縞見本」などと墨で書かれることも多くありました。
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切本帖(きれほんちょう)
江戸時代に海外から輸入された織物(反物)のハギレを貼って、帳面に仕立てたものに「切本帖」があります。
今日に残る、切本帖は、役人側のものと、長崎、京都、江戸などの商人側で作成したものがあり、商人側が作った切本帖には、品名や値段、数量や売り先、裂の色などが記されています。
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型染見本帳(かたぞめみほんちょう)
型染めのデザインの参考にするために、型染めされた和紙を貼り付けた型染めの見本帳が作られました。
日本では、伊勢型紙を彫って作った型紙を使用して、模様(文様)を表現する型染めが発達していました。
日本における型紙を用いた模様染めは、沖縄で行われた型紙を使用した紅型が最も古いとされていますが、京都で友禅染めが流行していた元禄時代(1688年〜1704年)から享保(時代(1716年〜1736年)にかけて、江戸では型紙を用いて染める、友禅とは異なる小紋が完成しました。
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もともと型染めに使用する型紙は、染め屋が自分で彫るものでしたが、型紙を使用して染める型染めの文化が広がるにつれて、型彫り屋が生まれてきます。
型彫りが独立した専業になると、型を彫るという技術が染め屋の型付けの技術から独走して、いかに細かく彫るかという方向に向かっていき、江戸時代末期から明治初期にかけて、並の染め屋の腕ではどうにもならないほど優れた伊勢型紙が数多く生まれました。
模様染を依頼された場合に、デザインをお客さん選んでもらうためにも「型染見本帳」が作られたと考えられます。