元禄文様(げんろくもんよう)・元禄袖(げんろくそで)について


元禄げんろく時代(1688年〜1704年)は、豊かになった町人が主体となり、華やかな文化様式が生まれました。

華麗な元禄風俗げんろくふうぞくは、西陣織にしじんおり友禅染めを主とする京都・大阪の手工業の成立によって生まれ、上方風俗が最も流行した時代とも言えます。

江戸時代の上方文化に代表される華やかな時代を意味して「元禄げんろく」という言葉が使われ、服飾においても「元禄文様げんろくもんよう」や「元禄袖げんろくそで」などの言葉があります。

元禄文様(げんろくもんよう)

明治37年(1904年)〜38年頃(1905年)に、元禄文様げんろくもんようと呼ばれる復古調の衣服文様が流行しました。

江戸時代前期に製作された多彩で大柄な小袖こそで文様を復活させ、友禅染めや鹿子かのこ絞りなどで元禄文様げんろくもんようが再現されました。

石畳(市松)や槌車つちぐるま、 輸違わちがい、蝶尽し、立筋に松鶴、疋田雲取垂梅、霞に松竹梅などが用いられました。

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元禄袖(げんろくそで)

婦人や子供用に用いられた和服の袖の型で、元禄袖げんろくそでと呼ばれるものがあります。

明治時代、元禄時代の風潮が復興された時期に、その当時に流行した丸い袖型を用いたのが元禄袖げんろくそでの名前の由来です。

丸みの大きな袖で普段着や寝巻きに用いられ、大人サイズのものは、袖丈が40センチほどでした。