人の手がかかるものづくりには非効率の価値があるから、その他の作業をできるだけ効率化するべき。


ものづくりの分野、とりわけ全ての工程を機械やロボットで完結するのではなく、人の手が必要とされる手仕事などは、非効率にみえる作業部分が多くあります。

手仕事においては、人の手が必要な非効率な部分こそが、大きな価値として評価される点でもあるのです。手仕事の手のかかる部分に、しっかりと時間を割くということは言うまでもありません。

ただ、分野にもよりますが、なかなか手仕事でご飯を食べていくのは難しいところです。なぜなら、手仕事であるため、投下した時間に対する生産量に限りがあるからです。

限りがあるなかでどうやって、利益を効率よく出すことができるかを考える第一歩として、まずは手をかける作業以外の工程を徹底的に効率化する意識を持つことが大事だと思います。

人の手がかかることから生まれる非効率の価値

伝統工芸などの手仕事は、効率が悪いからこそ尊いと感じられような「非効率の価値」を考える例としてはぴったりでしょう。例えば、ガラス工芸品として江戸切子があります。江戸切子は主にグラスやお皿として作られることが多いです。

参照:江戸切子共同組合

機械でつくってしまえば、グラスやお皿などの日用品は低コストで大量に生産することができますが、江戸切子は職人が一つひとつ丁寧につくっていきます。

「もの」それ自体を生産するという視点からみれば、明らかに後者が非効率です。それでも、職人がつくったグラスに価値を見出す人がたくさんいるのです。

美しさや使いやすさといった実用性の面からみた価値もありますが、職人が時間をかけてつくったという非効率であるがゆえの価値を感じることができます。

非効率だからこそ、その他の工程をできるだけ効率化する

作り手の視点から見ると、ものづくりの工程における非効率さは効率化させようとしても、できない部分があります。

なぜなら、先ほど述べた通り人の手がかかるものづくりそのものが非効率だからです。

ものづくりの非効率さに関しては、ある程度あきらめる部分があるとして、その現場で働く人にとってできるのは、生産工程以外の効率化を徹底的に図ることです。

原材料の仕入れ、作業の段取りから、商品の輸送まで徹底的に無駄を省いていく努力をすることで、非効率な生産部分に注力することができるのだと思います。

作業の効率化は、どんな仕事をしていても必要とされることですが、手仕事などのものづくりの担い手こそ、この意識を徹底的に持つ必要があるのではないでしょうか。

効率化によって、非効率なことが注目される時代

ものが溢れる経済的な豊かさが、もはや生きることのモチベーションとならないような世代を、尾原和啓さんが「乾けない世代」と呼んでいます。

尾原和啓(著)『モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書』には、稼ぐために働きたくない「乾けない世代」に対するアドバイスが書かれていますが、非効率であっても、個人が熱狂できるものがビジネスになっていくという記述があります。

以下、本書からの引用です。

これからは「他人から見れば非効率かもしれないけど、私はどうしてもこれをやりたい」という、偏愛とも言える嗜好性を、個人がどれだけ大事に育て、それをビジネスに変えていけるかが資本になっていくのです。

日本の人工知能の権威、東大の松尾豊教授が、こんな話を聞いたそうです。「昔の資本は筋肉でした。肉体労働を集約できることが強かった。それが蒸気機関の発明で追いやられて、今の資本は頭脳になった。そして頭脳は人工知能によって効率的な仕事に追いやられて、次の資本は非効率を産業としていく嗜好になっていくのです」。

これを受けて教授は「自分が何を好むのかという情報はこれから価値になります」と語っています。

非効率なことだけど、自分はこれが好きだというものを積極的に発信していくことがこれからはより価値として捉えられていく可能性が非常に高い。

徹底的な効率化によって行き着く先に、非効率なことが産業として注目されるというのは、非常におもしろいことですね。

今後は、人工知能を搭載したコンピューターの登場により、幅広い分野において人間がこれまでしてきた作業が機械やAIに取って代わられていくでしょう。

ネガディブな側面がピックアップされることが多いですが、人がやらなくて良いものが増えるということでポジティブな面もたくさんあります。

そんななか、人が関わるから効率的ではないけれど、非効率だからこそ見出される価値が、より評価されていく時代が来るのではないでしょうか。

【参考文献】尾原和啓(著)『モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書


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