現在の福岡県の久留米における久留米絣や愛媛県の伊予絣など、絣織物の産地が日本各地にありました。
糸をヒモで括って部分的に防染した絣糸を用い、織りによって絣の模様(文様)を表現するのが通常の絣の織物です。
ただ、絣産地がなかった東北地方においては、絣形に彫られた型紙を使用した型染めを行うことで、「絣模様」を表現するという工夫がされていました。 続きを読む
江戸時代後期に、茶器名物に関する図録である『古今名物類聚』が出版されます。
この書物に挙げられる名物裂は、名物裂の基本とされています。
『古今名物類聚』は、出雲の松江城主であった松平不昧(1751年~1818年)が、寛政元年(1789年)から9年にかけて編纂されました。
桜の花は、古くから日本人に愛され、優美な姿を模様化(文様化)したものは桜花文とも言われます。 続きを読む
2色以上の糸を使用し、経(たて)、または緯(よこ)、あるいは経緯に筋を表した模様(文様)を、縞や格子と呼んでいます。
縞織物は基本的に、縦縞(竪縞)、横縞、格子縞の3種類のうちのどれかに当てはまります。
使用されている糸の色や素材、糸の太細、緻密さ、配色、縞の幅の広狭、金銀糸の使用、紋織の併用など、組み合わせによってありとあらゆるの縞織物が存在します。
縞という言葉は、筋文様を総称する言葉として使われていますが、江戸時代の記述では、「縞」の他にも「嶋」や「島」、「間道」という字が当てられています。
嶋物という言葉は、江戸時代初期の茶道における茶会記に頻繁に表れ、嶋物は筋文様の織物に限らず、外来の茶道具(裂)全般を表す言葉としても使用されていました。
日本の服飾史において、古くから「筋」と呼ばれてきた文様に、「縞」という名前が与えられていく背景には歴史があります。
室町時代後期から江戸時代前期にかけて、「縞」の名称をめぐる由来について、本記事でたどっていきます。 続きを読む
2色以上の糸を使用し、経(たて)、または緯(よこ)、あるいは経緯に筋を表した模様(文様)を、縞や格子と呼んでいます。
縞織物は基本的に、縦縞(竪縞)、横縞、格子縞の3種類のうちのどれかに当てはまります。
使用されている糸の色や素材、糸の太細、緻密さ、配色、縞の幅の広狭、金銀糸の使用、紋織の併用など、組み合わせによってありとあらゆるの縞織物が存在します。 続きを読む
人類が文明を持つようになり、エジプト、メソポタミア、中国、インドなどの国において、数多くの模様(文様)が作られるようになります。
エジプトのピラミッドにある装飾壁画には、死後の再生や転生の祈願を込めて、広大な宇宙の回転を象徴する渦巻き模様や星形模様などが描かれました。
西欧社会においても、模様(文様)がある種の呪術性をもって登場します。
例えば、古代ギリシャの赤絵や黒絵に描かれたギリシャ神話のモチーフには、人間とは遠いようで近い存在であったギリシャの神々の姿をわかりやすく表現し、華やかな神々の世界の喜びや悲しみ、怒りなどの感情を表現しています。
古くから世界中で活用されてきた模様(文様)に、唐草模様(唐草文様)があります。
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鯉は、古くから「川魚の王様」として知られ、鯉が龍門の急流をさかのぼって龍となるという中国の故事により、立身出世や成功を意味する縁起の良い象徴ともされてきました。
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小葵を文様化(模様化)した小葵文は、平安時代にはすでに使用された文様(模様)で、皇族の装束から、宮中のふすまや几帳など調度にも利用されていました。
小葵とは、銭葵(学名:Malva mauritiana)の異称で、「銭葵」という名前は、丸みのある花や葉の形が「銭」に似ていることからその名が付けられたとされます。
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