投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

梅の模様(伊勢型紙)

デザインにおける梅の花・梅文(うめもん)

日本に梅が伝わったのは、弥生時代から飛鳥時代ごろとされ、中国から薬用の烏梅うばいとして伝来したと言われます。

梅は、薬用、食用、観賞用、そして染色用と多様な用途のある有用な植物として栽培されるようになり、梅の花は古代より人々に観賞され、愛好されてきました。

平安時代には、梅の花が春の先駆けとして咲くことから新年の希望の花とされたり、松と竹とともに歳寒三友さいかんのさんゆうの一つとして瑞祥ずいしょうの意味が与えられていました。

中国の人々は松・竹・梅を厳しい環境でもその節度を守り不変の心をもつものとして「歳寒三友(さいかんさんゆう)」と古くから讃えており、日本にもその風習が伝わっていました。 続きを読む

デザインにおける臼の目小紋(うすめのこもん)

臼の目小紋(うすめのこもん)とは、型染めにおける小紋こもんの文様(模様)の一つで、うすの目状に小さい点を連ねたデザインで、臼同士が重なり合っているようなパターンがよく用いられました。

江戸時代末期の天保てんぽう(1830年〜1844年)ごろに流行し、羽織と男子の衣服に用いられました。

地色は、黒や黒茶、茶色などで、小紋こもんは白、鼠色ねずみいろ、浅黄、淡茶などで表現されました。

地色は濃色に染められ、小紋こもん部分の色は薄色に染められることが多かったようです。 続きを読む

染色・草木染めにおいて、ウール(羊毛)のフェルト化を防ぐ方法

羊毛(ウール)を染色した際に素材がフェルト化して硬くなってしまうと、風合いが大きく変わってしまったり、糸を染めた場合は糸同士がくっついたりして、使い物にならなくなってしまいます。

羊毛(ウール)のフェルト化は、水分、高温と圧力、薬品などが作用することで起こる可能性があるため、それらの要素に注意して染色を行う必要があります。 続きを読む

八重鬼菊唐草文『江戸・明治藍の手染め』愛知県郷土資料刊行会

沖縄の藍型(えーがた)。藍型の種類や技法について

沖縄で行われていた藍染は、タデ藍ではなく、琉球藍りゅうきゅうあいが原料に使用されてきました。

藍染の染色技法としては、型紙を用いて模様を表現する型染めが盛んにおこなわれ、沖縄では藍型えいがた(えーがた)と呼ばれていました。

藍型えいがた(えーがた)の技法は、紅型びんがたとほとんど同じで、広い意味では紅型びんがた藍型えいがたも含まれますが、一般的には区別されます。 続きを読む

位袍(いほう)とは?

位袍いほうとは、位階いかいによって定められた色のほうを表します。

天皇は、儀式用に着用した黄櫨染こうろぜん(赤みの暗い黄褐色)や平常用としての麴塵きくじん(くすんだ黄緑色)、皇太子は黄丹おうに(赤味を帯びたオレンジ色)を着用したとされます。

臣下しんか(君主に仕える者)は三位以上が紫色、四位が深緋こきあけ(紫みの暗い赤色)、五位が浅緋あさあけ(わずかに黄味のある薄い緋色ひいろ、六位〜七位が緑、八位以下がはなだ(薄い藍色)であったようです。

10世紀ごろから、四位以上は黒、五位が蘇芳すおう、六位がはなだとなりました。

綾織(あやおり)の特徴と種類、日本における綾織(斜文織)の歴史について

織物には基本とされる構造があり、ひら織り、あや織り、朱子織しゅすおりは、三原組織さんげんそしきと呼ばれています。

綾織物(twill fabric)は、「斜文組織しゃもんの織物」で、経糸と緯糸が交差する組織点を斜めに連続させたもので、布面には斜めに走る線が現れます。
続きを読む

日本人女性は、いつから洋服(西洋服)を着用しはじめたのか?

洋服(ようふく)とは、「西洋服」の略で、西洋風の衣服のことを表します。

日本人女性の服装に洋服(西洋服)が採り入れられたのは、明治19年(1886年)に宮中きゅうちゅう(天皇の居所)で働く女官にょかんの服制に洋服が採りされたことや、国賓こくひんや外国の外交官を接待し、「外国との社交場」として使用された鹿鳴館ろくめいかん(1883年に欧化政策の一環として建設された西洋館)に出入りしていた上流女性が着用した洋服に始まるとされます。

ただ、洋服が着用されはじめた当時はまだごく一部の人々に限られ、一般女性はこれまで通り着物の和服姿でした。
続きを読む