投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

型染めされた木綿の藍染布,唐草模様

藍作・藍染と木綿の深いつながり。共に発展し、衰退していった歴史

明治8年(1875年)に、東京大学の初代お雇い教師であったイギリスの科学者であるロバート・ウィリアム・アトキンソン(1850年~1929年)が来日した際、道行く人々の着物や軒先のきさき暖簾のれんなどを見て日本人の暮らしの中に、青色が溢れていることを知りました。

東京を歩き、日本人の服飾に藍色が多いのを見て驚いたアトキンソンは、明治11年(1878)『藍の説』を発表し、藍に「ジャパンブルー(JAPANBLUE)」と表現したとされます。

日本中の庶民にとって大切にされてきた、藍染の衣類。

藍染が日本に広がった理由として、木綿との非常に密接な関係がありました。 続きを読む

千利休像(長谷川等伯画、春屋宗園賛、不審菴蔵、重要文化財)

一流の茶人・茶の湯名人の条件とは何か?新しい発想で茶の湯を創造する力が名人の条件であった

一流茶人の条件とは、古くはどのようなものだったのでしょうか。

主に中国から伝来した陶磁器とうじきである唐物からものを持ち、目利きがあり、茶の湯が上手であるというのは、名人の条件として考えられました。

また、茶の湯の名人である大事な条件として、新しい発想で茶の湯を創造する力が挙げられていたのです。 続きを読む

室町時代の勘合貿易(かんごうぼうえき)と染織品

勘合貿易かんごうぼうえき」は、室町時代に勘合(勘合符かんごうふ)を用いて行なった日本と中国(明)との貿易形態を表します。

室町幕府3代目将軍の足利義満あしかがよしみつ(1358年〜1408年)は、幕府の財政難を打開するために、倭寇わこう(13世紀から16世紀にかけて、朝鮮半島や中国大陸の沿岸部を荒らしていた海賊)の取り締まりと引き換えに、朝貢ちょうこう(外国の使者などが朝廷に貢物を差し出すこと)という形式で日明貿易にちみんぼうえきを開きました。 続きを読む

位(くらい)や階級によって定められた位色(いしき)

日本においては、飛鳥時代(592年〜710年)から奈良時代(710年〜794年)にかけて、個人の地位や身分、序列などを表す位階を、冠や衣服の色によって差異を付ける制度である「衣服令えぶくりょう」が制定されました。

着用する衣服に関して定められた制度や法令のことを「服制ふくせい」や「衣服令いふくれい(えぶくりょう)」などと言い、身分や地位、職業などによって衣服の素材や色、形、着用する場所などを規定し、社会的秩序を守るために規定されました。

くらいや階級によって定められた色を、位色いしきといいます。

日本における位色いしきの始まりは、日本で603年に制定され、605年から648年まで行われた冠位制度である冠位十二階かんいじゅうにかいと考えられますが、はっきりとはしていません。
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デザインにおける雁文(かりもん)・雁金文(かりがねもん)

がん(かり)は、カモ目カモ科ガン亜科の水鳥のうち、かもよりも少し大きく白鳥よりも小さい水鳥の総称です。

冬鳥として、秋の彼岸ごろに渡来し、春の彼岸に飛び去っていく代表的な渡り鳥として知られています。

日本人は昔からがんの行き来に、趣や季節の移り変わりを感じ、多くの詩歌の題材としても詠まれてきました。 続きを読む

尾州紺木綿『江戸・明治藍の手染め』愛知県郷土資料刊行会

日本の綿花栽培・木綿生産が普及した歴史。苧麻が、木綿に取って代わられた理由

江戸時代に流通した主な商品は、米を抜きにして考えると、木綿・菜種・干鰯ほしか・酒・材木・藍などが上位を占めました。

江戸時代以前、木綿が大陸からやってきて広がっていくまでは、日本においてイラクサ科の多年草木である苧麻からむし(学名 Boehmeria nivea var. nipononivea)を原料にした布が一般的に生産されていました。

木綿は、戦国時代から江戸初期にかけて、爆発的に普及したとされています。
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