投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

大和絣(やまとがすり)とは?大和絣の特徴と歴史について

室町後期の大永だいえい(1521年〜1528)から天文てんぶん(1532年〜1555年)頃には、すでに日本での木綿栽培が広がってきていたとされており、大和地方(奈良県)においても古くから木綿の織物が織られていた考えられます。

宝暦年間ほうれきねんかん(1751年〜1764年)に、現在の奈良県御所ごせ市を中心として越後上布えちごじょうふを木綿布に変えて織り出されたのが、大和絣やまとがすりの起源とされます。 続きを読む

繁菱文(しげひしもん),菱文,伊勢型紙

デザインにおける滋文(しげもん)・繁文(しげもん)

文様(模様)の配置が密になっているものを、間隔をおいて散らした文様である「遠文とおもん」に対して、「滋文しげもん」や「繁文しげもん」などと言います。

デザインにおける滋文(しげもん)・繁文(しげもん)

菱形の菱文ひしもんを隙間なく織り出したものを「繁菱文」と言ったり、目結めゆい(鹿の子絞り)を密にしたものを「滋目結しげめゆい」と表現します。

上記の例のように、「滋」と「繁」という言葉が頭につくことで、模様が密なことを表現する言葉となっています。

キモノスリーブ(kimono sleeve)とは何か?キモノスリーブの特徴について

スリーブ(sleeve)は、日本語ではそでにあたる部分です。

キモノスリーブ(kimono sleeve)とは、その名前の通りですが、日本の着物からインスパイアを受けて、ヨーロッパで表現された袖の形です。

そもそもの着物(キモノ)の語源は、「着る物が詰まった」とされ、室町時代末期には「着る物」と「着物」が併用されており、のちに「着物」の語が定着したとされています。

キモノスリーブに対する解釈は、その言葉の発生から現在に至るまでに、変わってきている点もあるようです。 続きを読む

雲文と井桁文,伊勢型紙

デザインにおける雲(くも)。雲文(うんもん)の種類や意味について

雲(くも)は気象状況や季節によってその形は様々に変わりますが、雲の模様(文様)は古くから意匠いしょう(デザイン)に活用されてきました。

雲の模様(文様)は「雲文うんもん」とも呼ばれ、中国や朝鮮ではさまざまなデザインが作られてきました。

中国では、山中の巨岩きょがんから雲気うんきが湧き出るとされたことから、「雲気文うんきもん」と呼ばれました。

日本では奈良時代に中国の影響を受けて、さまざまな意匠いしょう(デザイン)において雲文うんもんが取り入れられるようになったとされます。 続きを読む

格子縞(こうしじま)

縞織物における格子縞(こうしじま)

2色以上の糸を使用し、経(たて)、または緯(よこ)、あるいは経緯にすじを表した模様(文様もんよう)を、しま格子こうしと呼んでいます。

縞織物は基本的に、縦縞(竪縞たてじま)、横縞よこじま格子縞こうしじまの3種類のうちのどれかに当てはまります。

使用されている糸の色や素材、糸の太細、緻密ちみつさ、配色、縞の幅の広狭こうきょう、金銀糸の使用、紋織もんおりの併用など、組み合わせによってありとあらゆるの縞織物が存在します。 続きを読む

イラクサ(蕁麻)で織られた麻織物

日本の綿花栽培・木綿生産が普及した歴史。苧麻が、木綿に取って代わられた理由

江戸時代に流通した主な商品は、米を抜きにして考えると、木綿・菜種・干鰯ほしか・酒・材木・などが上位を占めました。

江戸時代以前、木綿が大陸からやってきて広がっていくまでは、日本においてイラクサ科の多年草木である苧麻からむし(学名 Boehmeria nivea var. nipononivea)を原料にした布が一般的に生産されていました。

木綿は、戦国時代から江戸初期にかけて、爆発的に普及したとされています。
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型染めされた木綿の藍染布,唐草模様(からくさもよう)

ヨーロッパや東洋、日本の衣服(ファッション)の特徴。模様と色彩、衣服における西洋と東洋の違いについて

衣服と染織模様は、世界中のそれぞれの土地で発達していきましたが、歴史的にみると西洋と東洋という大きな括りでも基本的なスタイルの違いをみつけることができます。

模様に関しては、世界各地にさまざまな柄が存在していますが、それぞれの地域や国、民族などの思想や生命観、宇宙観といったものを反映していました。

歴史的には、西洋には西洋の模様があり、東洋には東洋の独自の模様があり、それぞれ人々に育まれてきたのです。

衣服(ファッション)においても、もちろん一概には言えることではありませんが、西洋と東洋の特徴や違いを挙げることができます。

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藍染された浅葱色(あさぎいろ)の糸

京の水藍(みずあい)。幻の京藍の歴史と栽培方法について

藍染の原料となる藍の栽培は、古くは日本中で行われていました。

京都においては「京の水藍みずあい」という言葉が江戸時代の文献に残っており、色合いがあざやかで品質が高かったとされ、水藍の色は京浅葱きょうあさぎ(淡い水色)とたたえられていました。

水藍とは、その名前だけあって、水稲すいとうのように水を張って田んぼで栽培された藍のことです。

水藍は、京藍、東寺藍、ちょぼ藍(田んぼのことを、その土地の言葉で「ちょぼじ」と言ったことに由来)などと呼ばれていました。

水藍に使用された藍の品種は、京都の東九条村では「丸葉」と呼んでいたようですので、基本的には丸葉タデ藍(丸葉藍)であったと考えられます。

Persicaria tinctoria bergianska

蓼藍(丸葉),タデアイ,Persicaria tinctoria bergianska,Udo Schröter, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons,Link

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