一流茶人の条件とは、古くはどのようなものだったのでしょうか。
主に中国から伝来した陶磁器である唐物を持ち、目利きがあり、茶の湯が上手であるというのは、名人の条件として考えられました。
また、茶の湯の名人である大事な条件として、新しい発想で茶の湯を創造する力が挙げられていたのです。
一流茶人の条件
千利休の弟子であった、山上宗二(やまのうえそうじ)が書いた『山上宗二記』には、一流の茶人の条件について以下のようにあります。
目利きの、茶の湯も上手にて世上数寄の師匠を仕りて身を過ぐるを茶の湯者と云う。また、侘数寄と云うは、一物も持たざる者、胸の覚悟一つ・作文一つ・手柄一つ、この三ヶ条備うる者を云うなり。また、唐物を持ち、目も利き、茶の湯も上手、右の三ヶ条も備わり、一道に志深ければ名人と云うなり。
一行目、ここでの「目利き」とは、茶の湯の道具だけでなく、「目みて見る程のもの」すべての善悪の鑑定ができるということを意味しています。
「茶の湯の上手」というのは、茶を点てる点前が素晴らしいということで、「数寄」はここでは茶の湯のことです。
つまり、一行目は、「茶の湯の師匠を生業として生きる人は、目利きがあり、茶を点てる技術に優れ、弟子をもって教える人のことを言う」といっています。
二行目以降、「侘数寄」という言葉は、高価な唐物茶道具を買えず、使うことができない茶人であったとされています。
唐物(からもの)を持っているかどうかが茶人の基本的な区分としてありましたが、唐物を一つも持っていなくとも「胸の覚悟・作文・手柄」、つまり度胸と新たな発想によって茶の湯を創り出すのが、「侘数寄」だったのです。
また、唐物所持の茶人は四畳半、唐物を持たない侘数寄はそれより小さい三畳の小間に茶室を使っていたとされています。
新しい発想で茶の湯を創造する力
茶の湯者とは、唐物を持ち、目利きで、茶の湯上手、茶の湯の師匠であり、四畳半の茶室を持つ(ただし、新しい発想があるかは不問)。
侘数寄とは、唐物を持たないが、新しい発想があり、三畳の小間の茶室を持つ(目利き、茶の湯の上手であるかは不問)。
名人とは、唐物を持ち、目利きであり、茶の湯も上手で新しい発想があって志が深く、茶室は四畳半ということになります。
古くから「名人」によって点前が工夫され、作法が変わり、新しい発想や道具によって、新しい茶の湯が日々つくられていったのでしょう。
今日のように、作法が決まり伝統芸能化した茶道とは違った価値観があり、新しい茶の湯を創造する力が、侘数寄のそして名人の条件の一つだったのです。
参考文献:『千利休の「わび」とはなにか』