投稿者「iroai.jp」のアーカイブ

大島紬(おおしまつむぎ)

大島紬(おおしまつむぎ)とは?大島紬の特徴と歴史について

大島紬おおしまつむぎとは、平織りされた絹織物で、つむぎという名前が付いているように、もともとは手紡ぎされた絹糸が使用されていました。

また、車輪梅しゃりんばいで染色し、泥の鉄分で媒染ばいせんすることで絹糸が染められます。

きわめて細かな絣模様が表現される点も、大島紬おおしまつむぎがその名を知らしめる理由となっていました。 続きを読む

絣が織り込まれた芭蕉布(ばしょうふ)

芭蕉布(ばしょうふ)とは?芭蕉布の特徴や技法、歴史について

芭蕉布ばしょうふは、沖縄で織られてきた織物で、戦前までは沖縄全域で生産されていました。

繊維を採取する芭蕉(糸芭蕉いとばしょう)は、和名でリュウキュウバショウといい、一見するとくきに見える葉柄の部分から繊維を採る葉脈繊維ようみゃくせんいです。 続きを読む

葛布(くずふ)

葛布(くずふ)とは?葛布の特徴や技法、歴史について

くずは(学名:Pueraria lobata.)は、日本全土で見られるマメ科の多年草で山地や野原など、至る所に生育しています。

長いつるを伸ばして他の草木を覆い隠すので、厄介な雑草として扱われることもありますが、葉は牛の飼料になり、根からは上質なデンプンである葛粉くずこが取れたりと、様々な分野で活用されてきた有用植物です。
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竜胆唐草(龍膽唐草)りんどうからくさ

デザインにおける竜胆文(りんどうもん)。枝笹竜胆文・竜胆唐草について

日本において薄紫色に咲く竜胆りんどうは、古くから人々に親しまれてきた植物です。

昔から人々に特に愛された植物は、デザインに際して模様化(文様化もんようか)されてきましたが、竜胆りんどうは平安時代から染織デザイン(衣服の文様)において好まれていました。 続きを読む

紗綾形(さやがた)に彫られた型紙を使用して染められた小紋

デザインにおける紗綾形(さやがた)・工字繋ぎ(こうじつなぎ)

紗綾形さやがたは、卍形まんじがたを繋いて構成された文様(模様)です。

光沢のある絹織物である紗綾さや地紋じもん(布地に織り込まれた織模様)に、まんじを斜めにかさねた「万字繋ぎ」(紗綾形)が頻繁に織り出されたことから、「紗綾形さやがた」という模様の名称になったとされます。 続きを読む

燕文(つばめもん)が彫られた伊勢型紙

デザインにおける燕・燕文(つばめもん)

燕をモチーフにした文様(模様)である燕文つばめもんは、日本や中国をはじめとする東アジアの工芸品などのデザインに古くから用いられてきました。

燕は古来より、春の訪れを告げる鳥として親しまれ、縁起の良い象徴とされてきました。そのため、燕文つばめもんには単なる装飾としてだけでなく、幸福や繁栄を願う意味も込められました。 続きを読む

江戸小紋の三役の一つである行儀小紋(ぎょうぎこもん) 小さな点や模様が斜めに整列している柄

江戸小紋の三役と五役。鮫・角通し・行儀・大小霰・万筋について

江戸時代、武士のかみしもや礼装用の小袖こそでに染められた柄は、細やかな模様でありながら格式を示す重要な要素とされていました。

当初、柄の格付けは職人や武士の間で暗黙のうちに行われていたものの、明確な呼称や体系は存在しなかったと考えられますが、江戸時代後期から明治時代にかけて、染物業界や呉服業者が柄の格付けを整理し、広く染め柄が認知されるようになったとされます。

この流れで小紋染めの「三役」や「五役」といった呼称が生まれ、小紋の代表的な柄として位置づけられました。 続きを読む

鳥襷文(とりだすきもん)『文様織文図絵』文化12年(1815年)出版,彩色木版

デザインにおける鳥襷文(とりだすきもん)

日本画の題材は、古くから花鳥風月が中心となり、染織品の模様(文様)にも花や鳥をテーマにした作品が多く作られてきました。

鳳凰ほうおう朱雀すざくのような架空の瑞鳥ずいちょう(吉兆とされる鳥)から、鶴や鷹、うずらさぎ千鳥ちどり鴛鴦おしどりなど実在するさまざまな種類の鳥が「鳥文とりもん」として描かれてきました。 続きを読む

勝色と言われるような色目の布尾州紺木綿『江戸・明治藍の手染め』愛知県郷土資料刊行会

藍染における勝色・褐色・搗色の由来。武将にとって藍染は縁起の良い「勝染め」であった

藍は、古くから世界各地で使用され、人々に一番愛されてきたともいえる植物染料です。

日本人にとって、古くから藍染の青は身近な色のひとつで、全国各地に藍染をする紺屋こうや(こんや)がありました。

明治8年(1875年)に、東京大学の初代お雇い教師であったイギリスの科学者であるロバート・ウィリアム・アトキンソン(1850年~1929年)が来日した際、道行く人々の着物や軒先のきさき暖簾のれんなどを見て日本人の暮らしの中に、青色が溢れていることを知りました。

東京を歩き、日本人の服飾に藍色が多いのを見て驚いたアトキンソンは、明治11年(1878)『藍の説』を発表し、藍に「ジャパンブルー(JAPANBLUE)」と名付けました。

藍染された木綿布,尾州紺木綿『江戸・明治藍の手染め』愛知県郷土資料刊行会

尾州紺木綿『江戸・明治藍の手染め』愛知県郷土資料刊行会

藍染された色は、一番薄い藍白あいじろから、一番濃い留紺とめこんまで、「藍四十八色あいしじゅうはっしょく」と呼ばれるほど多くの色味がありました。

それぞれの藍色に名前をつけて区別しようと思うほど、藍色を見る目を人々が持っていた・・・・・・・・・・・・・・・ともいえます。 続きを読む