更紗とは、16世紀以降、ポルトガルやオランダ、イギリスなどのいわゆる南蛮船が運んできた、インドや東南アジアの模様染めされた布を指して呼ばれたものです。
更紗は「紗羅紗」や「皿更」、「華布(印華布)」とも書かれ、現在のタイの呼び名であるシャム辺りから渡来したとされたため、や「紗室染」などとも言われていました。
今日における更紗といえば、木綿に東南アジアやインド的な模様を細かく模様染めされた布を指していることが多いです。
和更紗(わさらさ)とは?
日本においては、更紗は室町時代に渡来しており、「名物裂」としてもてはやされていました。
当時の人々にとっては、更紗は独特で異国風な色や柄が珍しかっただけでなく、まだ木綿が普及していなかったため、布地の素材そのものも新しいものだったのでしょう。
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和更紗は、ジャワ更紗(バティック)、インド更紗、オランダ更紗、ペルシャ更紗、シャム更紗、唐更紗、琉球更紗(紅型)などに対して、日本の本土で出来た更紗をまとめて「和更紗」と呼んでいます。
日本における更紗
日本各地では、江戸時代に海外から渡来した更紗を模して、さまざまな更紗(和更紗)が作られました。
京更紗や江戸更紗、堺更紗、長崎更紗、天草更紗、鍋島更紗、南部藩の南部更紗(紫更紗)や山形の紅更紗など、産地の名前を冠しているのが一般的でした。
彦根更紗と称されているものは、産地と全く関係がなく、彦根藩主の井伊家で所蔵していたことからこの名前があり、更紗そのものはほとんどがインドで作られたものです。
外国から更紗が舶来する窓口となっていた長崎では、享保3年(1720年)あたりからある程度輸入されていたとされます。
長崎で更紗を作り出したのは、いつ頃かははっきりしていませんが、明和の頃(1770年頃)にはすでに立派なものができていたようです。
寛政初期の頃(1790年代)には、長崎更紗から習い、天草でも更紗が作られるようになっています。
京更紗や堺更紗、江戸更紗などが作り出されたのも、江戸時代中期ごろかそれ以前の頃と考えられます。
江戸時代中期の正徳2年(1712年)に完成した百科事典である『和漢三才図絵』おける更紗の説明には、「本朝多く染出す者は、洗へば華文消え易き耳」とあります。
更紗の技術は、和紙に応用され、模様(文様)を木版で染め出して「紙更紗」が作られました。
和更紗に共通しているのは、いずれも南方系の更紗の流れを汲むもので、模様(文様)も南方の更紗の感じをそのまま取り入れています。
更紗の基本的な染色技法
更紗は、様々な技法や工程を組み合わせて出来上がります。
地域によって文化や歴史も違うため、それぞれの特色はありますが、その違いを踏まえた上で、更紗の模様染めの表現方法を大別すると、大きく4種類に区別できます。
- 木版を使用して染料や媒染剤をプリントする技法・・・木版更紗
- 染料や防染剤を使用して手描きする技法・・・手描き更紗
- 木版プリントと手描きを併用する技法
- 蝋の防染だけで染める方法
上記のうち、木版更紗は木版を彫刻してつくる必要がありますが、量産ができ技法的にも比較的簡単であるため、インドやインドネシアのジャワ島などの各地で行われてきました。
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