正倉院裂とは、正倉院宝物として保存されている裂(布きれ)のことです。
正倉院裂には、奈良時代の天平勝宝年間(749年〜757年)に行われた東大寺大仏開眼供養に用いられた裂や聖武天皇(701年〜756年)にゆかりのあった裂などがあります。
その大部分は絹と麻でできた織物で、他には羊毛(ウール)を熱や圧力をかけて縮めた毛氈があります。
正倉院裂(しょうそういんぎれ)とは?
正倉院裂は、中国から舶載されたものと日本において生産されたものとあります。
その中で、錦類は、特に優れており、経糸によって地と文様を織り成す経錦(けいきん)、緯糸によって地と文様をつくる緯錦(ぬきにしき)があります。
経錦(けいきん)は、推古時代前後の伝世品であり、その代表的なものに「獅噛文長斑錦」があります。
正倉院裂の模様(文様)は多種多様で、植物系には唐花文、八稜唐花文、菱形唐花文などがあります。
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鳥獣模様には、鳳凰、花喰鳥、人物、山羊、孔雀などがあり、他に幾何学的な図形があります。
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中国唐文化やペルシャのササン朝の影響がみられ、これら融合して文様化された構図などもみられます。
Webサイトの文化遺産オンラインで、「正倉院裂」を検索すると、数々の正倉院裂をみることができます。
参照:文化遺産オンライン
9,000点にも及ぶ正倉院宝物(しょうそういんほうもつ)
正倉院宝庫に保存されている正倉院宝物には、正倉院裂を含むさまざまな装飾品のほか、仏具や文房具、服飾品など約9,000点にも及びます。
正倉院宝庫は、1000年以上の間、朝廷の監督の下に東大寺によって管理されてきました。
明治8年(1875年)に、宝物の重要性を考慮して、内務省が管轄することになり、その後は農商務省を経て宮内省に移り、そのまま現在に至ります。
宝庫は、正倉のほかに西宝庫・東宝庫があり、宝物はこの両宝庫に分けて保存されています。
正倉院宝物にはさまざまな技術や技法を用いて、装飾が施されていたことがわかっており、使用された顔料と染料についての調査も行われています。
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