加賀友禅が染められてきた石川県の金沢市は、周囲を美しい山々に囲まれ、犀川と浅野川が流れる、加賀百万石の城下町でした。
この地域における染色の歴史も非常に古く、1500年代頃にはすでに「梅炭」といわれる無地染が発達し、布地を梅の皮や渋で染め、黄色味がかった赤色に染め上げたのです。
江戸時代初期には、「御国染(加賀染)」や「兼房染(けんぼうぞめ)」と呼ばれる友禅染めのような模様染めが行われていました。
このように染色の土台があった加賀において、京都から宮崎友禅斎が移り住んできたのです。
糊置の防染法が導入された江戸時代中期以降は、臙脂と藍、紫の三色を基調に暈しを加えた形式の友禅染めを特色としていました。
目次
加賀友禅(かがゆうぜん)とは
加賀で発達した友禅染めは、加賀友禅といわれます。
「加賀友禅」という語は、江戸時代を通じて文献に登場しないため、現代の呼び方といえます。
加賀友禅が発達した理由としては、犀川と浅野川が流れ、染色に必要な豊富で良質な水があったというが挙げられます。
また、藩主であった前田氏が、産業(殖産)や文化の発展に積極的だった点もあります。
友禅染めの特徴
友禅染めの特徴は、絵を描くようにさまざまな模様を染め上げられるところにあります。
現代における友禅染めには、 型紙を用いる 「型友禅」、直接筆で色をつける「素描友禅」など、いくつも種類がありますが、江戸時代以来その中核をなしてきたのは 「手描き友禅 (本友禅)」でした。
作品を制作するときは、ただ友禅染めだけで表現するのではなく、プラスアルファで大胆な絞り染めによる不定形を加えたり、刺繍によって力強い文字を表現することで、アクセントを加えることができました。
友禅染めのみであるとわかりやすく、悪くいうと単調な図柄になる場合もありますが、技法を併用することでより深みのある新たなデザインも可能になったのです。
関連記事:友禅染め(ゆうぜんぞめ)とは?友禅染めの語源と特徴、宮崎友禅風のデザインについて
加賀友禅と京友禅の違い
加賀友禅と京友禅も違いは、一般的にその模様の構成と色彩にあるといわれています。
加賀友禅は、京友禅に比べて模様の構成が絵画的です。
京友禅は、模様が大きく、内側から外に向かってボカシが使用されるのに対して、加賀友禅は、模様が小さくまとまっていて、外側から内側に向かってボカシが使用されています。
デザイン面では、花びらの葉に虫食いなどの工夫もされていました。
色彩面では、「加賀五彩」と呼ばれ、臙脂(赤)、藍、黄土、草(緑)、古代紫(濃紫)の5色が多く用いられています。
もともと京友禅が公家や上流町人階級の人々に好まれていたため、その柄行きが大らかで華やかに表現されました。
一方、加賀友禅は、武士階級の好みに合わせて、華やかな中にも、落ち着きと控えめな上品さが表現されたとされていますが、現在ではほどんど区別がされていません。
染色技法や工程についてはほどんど違いはなく、現在、加賀友禅では、手描き友禅と板場友禅の二つに分けられて生産されています。
手描き友禅は、作家が直接布に絵を描いて染めるもので、板場友禅とは、板に布を張って、型紙を用いて染めるもので、型友禅と呼ばれるものです。
加賀友禅の技法(手描き友禅)
友禅染めは、もともとおこなわれてきた描絵による手描き友禅と、明治時代に入って考案された型友禅に大きく分類できます。
手描き友禅による技法としては、まずデザイン(図案)は、上質な紙に墨描きで描かれます。
関連記事:友禅染め(ゆうぜんぞめ)の工程。糸目糊(いとめのり)を置く代表的な本友禅について
下絵は、白生地を袖や衿、身頃などに裁断して仮仕立てしたものを、図案の上において青花を筆につけ、写しとってきます。
糊置きは、下絵を描いた生地の裏から、淡い色の順に色をさしていきます。
中埋めという言葉がありますが、彩色したところに地色がつかないように、糊で塗りつぶすことです。
地染めは、糊置きの段階で切り離された布を、一反の生地に縫い合わせた後に行います。
色を定着させる「蒸し」の作業は、地染めが済んだ布を蒸し箱の木枠に掛け、90〜100度の蒸気で約30分間蒸して、染料を布地に定着させていきます。
蒸しの作業が終われば、水洗いをし、糊や余分な染料を洗い流して乾燥させます。
最後に、湯のしと幅出しの仕上げ作業を行なった後に、金や銀加工や刺繍をほどこし、着物の形に仮仕立てをして完成させていきます。