結城紬は、茨城県結城市周辺で織られる、日本を代表する紬です。
結城紬は、すべてが手仕事で行われることで、動力機械では不可能な風合いと手触りの良い風合いが生まれます。
結城紬(ゆうきつむぎ)の歴史
その歴史は、鎌倉時代にさかのぼるといわれ、古くからこの地域で織られていた絁が、鎌倉時代になって紬へと改良され、「常陸綾織」や「常陸紬」と呼ばれて武士の間でその実用性が好まれていたとされます。
それまでこの地域を治めていた結城氏が、慶長7年(1602年)越前福井へ領地を移され(移封)、代わって伊奈備前守になると、信州(長野県)の上田から織工を招いて、柳条紬の製法を習得しました。
そして、名前も「結城紬」と改められ、藩の特産品として幕府の献上品に数えられました。
慶長年間(1865年〜1867年)には、久留米絣の技法も取り入れられ、結城紬の生産がますます盛んになりました。
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町人たちは、おしゃれ着や普段着として愛用し、全国的にもその名前が知られるようになります。
技術改良も進み、明治20年(1887年)ごろには、結城縮、大正時代末期には緯絣が開発され、さらに細工物と呼ばれる経緯絣が織られるようになりました。
昭和31年(1956年)に、結城紬の生産における功績と技術保護が認められ、「糸紡ぎ」、「絣括り」、「付」の3部門の工程から、優れた技術者が2名ずつ、合計6名が国の重要無形文化財(人間国宝)の技術指定を受けました。
結城紬(ゆうきつむぎ)の技法
結城紬は、経糸と緯糸ともに、真綿から指にツバをつけながら引き出した、無撚の手紬糸が用いられます。
絣模様にする際には、手括りを行いますが、もともとこれは男の仕事で、①「口しばり」②手しばり③口と手しばりの3種の方法があります。
糸染めは、藍染が主に用いられます。
織機は、居坐機と呼ばれる最も原始的な機が使用されます。
この機は、経糸の一端を腰当に結びつけ、緯糸に刀杼と呼ばれる長い杼が用いられます。
緯糸1本ごとに絣の目を合わせ、布の両端にはみ出した杼を両手で手前に引き寄せて打ち込んでいきます。