ハリスツイード(HarrisTweed)とは、スコットランドのアウター・ヘブリディーズ諸島で作られている伝統的な毛織物を意味します。
スコットランドの西側に浮かぶアウター・ヘブリディーズ諸島は、古くはロングアイランドと呼ばれ、非常に長い距離に渡って島々が点在しており、その中のルイス島(Lewis)とハリス島( Harris)がハリスツイードの故郷といえます。
北に位置する大きい島がルイス島で、南に位置する小さい島がハリス島であり、地理上では陸続きでつながっている一つの島ですが、通常二つの島と考えられています。
あえて人々が別名で呼んでいたのは、ハリス島は岩山が連なり木々が少ないなど、二つの島の環境が非常に異なっていたためです。
目次
ハリスツイードの特徴
ハリスツイードの特徴は、大西洋から吹き寄せる強風と激しい雨に耐えられる暖かさと丈夫さを持ち、ウールの縮む特性を最大限に活かした毛織物であるいえます。
イギリスのビクトリア朝(1837年〜1901年)時代のハリスツイードは男性用のレジャースーツやコートなどに限定されていました。
その後、さまざまな場面でハリスツイードが使用されるようになり、より滑らかな風合いと色合いも加えられ、現在があります。
ハリスツイードが世界的に人気が高いのは、何年ももつ丈夫さや洗練された色彩などさまざまな理由がありますが、長い歴史と伝統に裏付けられた品質が評価されている点が大きいでしょう。
ハリスツイードの歴史
ハリスツイードの古くからの作業工程ですが、秋になると毛刈りを行い、植物を染料として原毛を染め上げ、冬の間に女性が糸を紡ぎ、男性が織り上げます。
春になると出来上がった織物の原反を女性たちが手で揉みこみながら縮ませ、ツイードに仕立てました。
ハリスツイードがいつから作られたのかは、定かな記録は残っていないようですが、非常に古くから人々は羊の毛を刈り取り、雨風を防ぐ毛織物を作っていました。
島の人々が自給自足で織物を作り続けてきたツイードを1840年代ごろにイギリス本土に伝えたのは、ハリス島の領主の夫人であったレディ・ダンモアという女性です。
当時のハリス島は貧しく、レディ・ダンモアは領民の現金収入を増やし、生活水準の引き上げを達成しようと考えたのです。
彼女はまず島で作られたツイードを、貴族の友人に紹介しはじめました。
ロンドンで着ているようは衣服ではなく、スポーツウェアの素材に活用してみたところ、ハリスツイードの丈夫さと防水、防風性能の優れた点が評価され、その後にツイード産業が各地で盛んになってくるのです。
ルイス島やハリス島の村々では家内工業が本格化し、それぞれの過程で羊毛を刈り、紡ぎ、織り、仕上げ加工を行いました。
ハリスツイード協会の設立とブランドの保護
ハリスツイードの規格の統一や産業の保護を目的として、1909年にハリスツイード協会が設立され、ハリスツイードの証として王位を象徴とする十字架をのせた宝珠である「オーブマーク」の使用が認められます。
1920年代に導入されたハタースリー織り機が生産能力を一気に拡大させることになった結果、アウター・ヘブリディーズ諸島で原毛を手紡ぎ手織りしていた「ハリスツイード」の定義を1934年に修正されています。
それ以来、「スコットランドの原毛100パーセントを使い」「アウター・ヘブリディーズ領内で紡績した糸を使用し」「アウター・ヘブリディーズ領内で織り上げ、仕上げしたもの」に対して「ハリスツイード」の名称が使用できるようになりました。
ハリスツイードとして認められる定義が変わったことで、原料調達の範囲が広がるとともに、機械紡績をしたものも「ハリスツイード」と認められるようになったため、生産量が爆発的に伸びたのです。
「ハリスツイード」として認められる条件
その後、1993年のハリスツイード法の制定によって、世界各国の登録商標で「ハリスツイード」は保護されています。
1993年法において定められている法律上の定義を満たしていない生地は、「ハリスツイード」と呼ぶことができないのです。
ハリスツイードとして認められる条件としては、アウターヘブリディーズ諸島でその住民によって手織りされ、アウター、ヘブリディーズ諸島で仕上げられ、アウター、ヘブリ ディーズ諸島でピュアバージンウールを染色し紡績された物のであることが挙げられます。
上記の条件をもってして、ハリスツイードと認められるのです。
参照:ハリスツイード協会
【参考文献】『月刊染織α 1984年10月No.43』