日本の古代の人々は、草木が成長し花が咲き、果実が実るのは、草木に宿る精霊(木霊)の力であると信じ、草木からとれる自然の色で、衣服を染めつけていました。
強い精霊の宿るとされる草木は、薬用として使用され、薬草に宿る霊能が、病気という悪霊によって引きおこされた病状や苦痛を人体から取り除き、悪霊をしりぞける作用があるとされていたのです。
日本の染色技術が飛躍的に発展するのは、4世紀ごろに草花から染料を抽出し、これを染め液として、浸して染める「浸染」の技術が中国から伝わってきてからとされます。
もっとも原始的な染色方法に、植物を生地に直接こすりつけて色を染め付ける「摺り染め」があります。
染色・草木染めにおける摺り染め(すりぞめ)
前田雨城(著)『日本古代の色彩と染』には、摺り染めについて下記のように記述があります。
摺り染には、木や石の上に生地をおき、生の草木の葉などを摺りつけて色や形を生地につける最も原始的なものから、木や石に型を彫り付け、それを台にして特定の型を摺り付ける高級なものまである。
また木型の押し付けによる印し染(臈纈にこの手法も残っている)や、後世のいわゆる版画の手法の域のものまである。この中には、摺り染だということに問題はないが、その方法の未だ解明されていないものも多い。
単なる草摺りは別として、摺り染は、臈纈と並んで技術的に難しいものが多いが、この技術が江戸時代の版画や浮世絵に生かされていることも見のがすことはできない。
上記引用分の「臈纈」とは、溶かした蝋を防染剤として生地に塗り、蝋を塗った部分だけが染まらずに模様となる技法です。
原始的な摺り染めの技術が、結果的にのちの版画や浮世絵に生かされていたとも考えられます。
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万葉集における摺り染め
7世紀後半から8世紀後半(奈良時代末期)にかけてに成立したとされる日本に現存する最古の和歌集である『万葉集』には、4,500首以上歌が集められていますが、その中には、摺り染めを詠った歌が多くあります。
文学的な表現であったにせよ、摺り染めという考え方が知られていた事実には違いありません。
月草(つゆくさ)が9首、榛(はり)が8首、芽子が3首、垣津幡が2首、子水葱が1首、土針が1首、山藍が1首、ただ単に摺り染めを詠んだものが2首あります。
月草(露草)は、青色の花で摺ったもので、その色合いが後に露草色といわれ、さらに明るく薄めの青を指す「花色」の語源にもなりました。
榛(はり)は、葉か木の実で摺り染めしたもので、山藍や土針は、葉を摺って染めたものになります。
垣津幡や子水葱、芽子は、花の色で摺り染めした花摺りです。
垣津幡は、「正倉院文書」の中に、垣津幡染紙という記載もあり、花の汁で和紙を染めたものとされています。
摺り染め・花摺り(はなすり)の染色方法
初期の花摺りは、直接染色する対象物に花を摺りつけたり、花を布の上に並べておき、花の上に紙などを重ねてから棒で叩いて花の色の形をうつしたりしたと考えられます。
花摺りは、山藍の葉を摺ったものや榛摺と違い、水で洗うことによって色が簡単に落ちてしまう特徴があります。
時代とともに、摺り染めの技術も発展し、江戸時代後期に出版された三都(京都・大阪・江戸)の風俗や事物を説明した一種の百科事典である『守貞謾稿(巻之十九)』(天保8年(1837年)に記録を始め、嘉永6年成立(1853年))には、以下のような記述があります。
「摺衣 スリキヌハ板面ニ紋ヲ錐刻シ 布ニ糊ヲ包ミタルヲ以テ之ヲ摺テ後ニ、染ベキ絹布を置テ之ヲ押テ則チ地ト紋ト高低ス 其時種々ノ花或ハ藍葉ヲ各々布ニ包ミテ絹布ノ上ヨリ之ヲ摺ルニ 高キ所ハ染リ 低キハ染ラズシテ紋ヲナス 是ヲスリキヌト云、花ヲ以テ摺ルヲ花摺ト云、州崎ノ形ヲ板ニ刻ミテ摺タルヲ島摺ト云、又忍ブ文字摺ト云ハ奥ノ名物デ石面ニ自ラ紋アリテ之ヲ摺ルを云」『守貞謾稿(巻之十九)』
前もって模様を浮彫(平面に絵や模様、文字などを浮き上がるように彫ること)した板面に糊をつけて、布をしっかり叩いて模様の凹凸部分に密着するように張り込み、その布に摺り染めしていき、その後、染めべき絹の布を置いて、上から押す形で凹凸を生かして柄を出します。
また、花の汁が滲み出すような形で、花をつぶした絞り汁を布に包んだもの(ex.拓本を採るときに墨をつけて叩く道具であるタンポのように)で染めるべき絹の布の上から摺っていくなどというような記述が、上記ではされています。
摺り染めにおいても、ただ摺って色を染め出すだけではなく、染色に使う道具の凹凸を利用して柄を出したりと工夫がされていたことが上記の『守貞謾稿(巻之十九)』の記述からもわかります。
【参考文献】
- 前田雨城(著)『日本古代の色彩と染』
- 『月刊染織α1985年5月No50』