染料として用いられるものに柿渋があります。
柿渋は古くから、防水・防虫・防腐の目的として、自給自足的な生活の中で広く活用されてきました。
製品としては、柿紙や伊勢形紙、紙衣、柿うちわ、合羽(カッパ)、和傘、漆器、酒袋など、さまざまな産業の中で必要不可欠な欠かせない素材でした。
また、漁網には、その網を強靭にするために柿渋による染色(渋染め)が行われていました。
柿渋は、未熟な柿を搾り、渋(シブ)だけを集めた濃厚な液体で、そのまま液体として販売されています。
目次
染色・草木染めにおける柿渋(かきしぶ)
タンニンは、非常に複雑でさまざまな種類のものがあるということですが、分離して生じる物質の種類によって、ピロガロール系のタンニンとカテコール系のタンニンに大別されています。
カテコール系色素は、ピロガロール系に比べて溶解と吸収が劣るものの、「石灰(Ca)」発色や自然の酸化重合作用によって、堅牢度が高く魅力的な赤味の強い褐色を示すことから、各地に特徴的な染色の事例が見られます。
柿渋は、特有の接着性と耐水性を持ち、工芸の各分野に広く利用されています。
耐水性は色素重合によるものであり、接着性は、渋に含まれるペクチンが原因となっています。
「腰が強い柿渋、弱い柿渋」という表現が言葉があったようですが、これは粘性のあるペクチンの成分に起因するものだと考えられます。
柿渋の液を長期間放置したり、ホルマリン液を少し加えると、ペクチンが寒天のようにゲル化(糊料などが混入した粘性のある溶液(コロイド溶液を「ゾル」と言い、これがゼリー状に固化したものを「ゲル」と言う)します。
そのため、柿渋で染め重ねていくと染色した生地や糸が硬くなっていくため、衣類用のものの染色にはあまり適さないところがあります。
糸染めには特に向いていないですが、型糊での防染での引き染めや色差しには問題がなく、特に和紙には最適な染料液として用いることができます。
衣服を柿渋で染めることのメリット
日本においては、暖簾や蚊帳などに柿渋が多く利用されてきましたが、衣類への利用はそれほど積極的に行われていなかったと考えられています。
衣服を柿渋で染めると生地が硬くなり、ゴワゴワとするため着心地が悪くなるという大きなデメリットがありますが、メリットも以下のように多く挙げることができます。
- 柿渋の防水効果によって、服が雨露に濡れにくく、汗をかいたり雨にあたっても、服が体にくっつかない
- パリッとした風合いのため、通気性が良く涼しいので、夏の服として非常に優れている
- 土やホコリなどがつきにくく、付いても叩けば簡単に落とすことができる
- 柿渋によって生地が強くなるので、尖った草木やトゲから身を守ってくれる
- 柿渋の防腐効果によって、生地が傷んだり腐りにくい
- 洗って乾けばパリッとするので、アイロンなど、細やかな手入れが不要
- 柿渋によって生地の耐久性が2倍〜3倍高まる
- 色落ちしにくい
型染めに用いる型紙(渋紙)と柿渋

柿渋が塗られた渋紙に彫られた染め型紙
型染めに用いる型紙(渋紙)は、柿渋の性質を活かした良い例です。
その製法は、和紙の漉き目が縦横に交差するように紙を3枚重ねて柿渋で塗り固め、最後に燻煙(煙でいぶすこと)で色素を重合を促して、耐水性のある紙として仕上げるのです。
これによって、型紙は紙の性質としてナイフで簡単に彫れますが、水に溶けず粘りの強い防染糊でしごいても破れない性質を持てるのです。
柿渋と和紙が見事に融合した型紙の発見があったからこそ、日本の文様染めにおける染色技法は飛躍的に発展したともいえます。
日本における柿渋の歴史
上記で述べたように、人々の生活の中で密接な関係のあった柿渋ですが、戦後、合成繊維が普及し、安価で良質な防水剤や防腐剤が登場したことによって、柿渋の需要は急速に減少していきました。
現在では、その生産量はごくわずかとなり、塗料や染料、清酒の製造過程における清澄剤などに使用されています。
平安時代末期から鎌倉時代ごろには、柿渋で染められた柿衣が作られていたと考えられています。
貞享3年(1678年)成立の山城国(現京都府南部)に関する初の総合的で体系的な地誌『雍州府志』には、柿渋について詳細に記され、利用法としては、「衣服を染め、ま
た強紙に塗る」というようにあります。
江戸時代中期に貝原益軒によって描かれた、当時の家庭百科事典ともいわれる『万宝鄙事記』宝永2年(1705年)にも「渋染の法」として「生渋一升に水九升入れ、たらひにてよく和合せ、生布にても晒布にても、先水にて糊気をおとし右の渋水にへつけ、よくもみ合せ棹にかけ、その下に渋水の入たるたらひを置て、布をしぼらず干して、幾度も渋水の尽るまでは染てほすべし、渋色むらなくわたりてよき色にそまる」という記載があります。
庶民の生活において渋染めが広まった背景には、藍染めを生業とする紺屋(こんや)と同様に、柿渋で染めることを生業とする「渋染屋」の存在がありました。
俳諧集の『雑巾』(17世紀)の中には、「鶯にいかがこたへん渋染屋 当清」という句があります。
柿渋の製造方法

『広益国産考』(こうえきこくさんこう)に記載される柿渋を搾る人の図
柿渋作りにおいては、上記の『雍州府志』や江戸時代中期、医者であった寺島良安によって編集された百科事典である『和漢三才図会』(1712年)などに記されています。
江戸時代後期の農学者である大蔵永常(1768年〜1860年)の著書『広益国産考』には、60種類ほどの商品作物を取り上げられ、栽培や加工方法、作物に適した農具や流通過程などについての記載があります。
柿渋の製造方法に関する記述については、以下のようにあります。
「又、丘山にハ小さき柿渋を多く植て渋をとるべし。是又利を得るもの也。青柿をとり、石うすにて㨶きつぶすか、碓にてもよし。能つぶして半切桶に入れ、水をひたひたに入れ半日ほど置、藁にて拵へたる蒲簀に入、桶の口に木にて造りたる簀を其上におき、石蒲簀をのせ、豆腐をしぼるごとく、棒にて押へ其棒のさきに腰をかけてしぼれバ、渋は下へたれ粕は蒲簀に残る也。其粕を出し、半切桶に入又水を少し入、一夜置右のごとくして絞りて一番しぼりと別にいたし置、貳ばんとして売る」
採取した青柿は、柿渋の品質が悪くなるのを防ぐために、その日のうちに一気に唐臼(碓)で㨶き砕かなけならなかったようで、大変な作業だったと考えられます。
昭和初期になると、破砕機で柿を㨶き、圧搾はジャッキを用いることで柿渋の製造が機械化されていきました。
柿渋づくりの手順(手作り)
手作りで柿渋をつくる際の手順としては、以下のような流れになります。
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- 8月下旬から9月上旬ごろの青柿を傷つけないように採取する
- ヘタを取る
- 青柿を粉々に砕く(破砕)
- 破砕した青柿をプラスチック製の洗面器、あるいはタライ桶のような容器に入れる
- 容器に入った青柿がひたるぐらいに水を加える
- このまま2昼夜放置する
- 発酵が始まり、泡が出てくる。しっかりと発酵させるために、撹拌し、液ができるだけ空気と接触するようにする
- 布で液をしぼり、プラスチック製の容器に入れて3日〜4日間放置しておく。この間も発酵がスムーズに進ように、一日にできれば数回(4回〜5回)撹拌する
- 長期貯蔵用のガラス瓶(梅をつけるようなガラス瓶)に移し、一ヶ月ほど放置する(冷蔵所が良い)。まだ発酵しておりガスが発生するため、完全にフタは閉めないでおく
- 放置したあと瓶のフタを閉め、冷暗所で貯蔵して必要な時に使用する
【参考文献】
- 『月刊染織α1992年3月No.132』
- 『月刊染織α1995年7月No.172』