紅花の原産地は、中央アジアやエジプト、メソポタミア地方あたりではないかとされていますが、はっきりはしていません。
紅花が日本に渡来したのは、シルクロードを通じて古墳時代に伝来し、古代中国から「呉藍」として輸入されたものと伝えられています。
花は染料としてだけでなく、薬用としても用いられ、種子からは油も絞れるため、幅広い用途に使用されました。
紅花から精製した紅花餅(こうかべい)
中国で紅花から精製した染料は、紅花餅などと呼ばれていました。
中国の明末(16世紀後半〜17世紀前半頃)に、宋応星(1587年頃〜1666年頃)によって書かれた産業技術書である『天工開物』の上巻には、「染色」の項目があります。
紅花に関しては、「露を含んだまま摘み取った花をしっかりと搗き、水で洗って布袋に入れて漉しながら、黄色い汁を搾り取ること」や、「搗いて酸栗(栗を水に漬けて酸っぱくしたもの)や米のとぎ汁で洗い、それを袋に入れて搾った汁を取り、青蒿(クソニンジン)で一晩覆っておいた後、こねて薄い餅状にし、陰干しして貯える」というような記述があります。
現在の栃木県にあたる下野国の黒羽藩11代藩主であった大関増業(1781年〜1845年)によって、江戸時代後期の文政13年(1830年)の頃に『機織彙編』という書物出版されます。
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『機織彙編』には、「紅花を摘み桶へ水を入れ、流水で黄色い水が出なくなるまでよく揉み出し、黄汁がなくなれば直ちに箱に入れ、水を打って一夜おいて柔らかくなったものを枇杷(ビワ)の実ほどの大きさに丸めた後、押しつぶして餅とし(これを銭形餅という)、天日で干し上げる」というようにあります。
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