竹は中国で古くから愛でられてきた植物の一つで、松や梅とともに歳寒三友として古くから中国で讃えられてきました。
歳寒三友とは、竹、松、梅を表す言葉で、冬の厳しい寒さの中でも力強く美しい様を見せることから、画題(絵画のテーマ)として用いられてきました。
中国から文化が伝わり、日本で竹、松、梅が画題とされるのは平安時代ごろからと考えられ、一般庶民に盛んに用いられるようになるのは江戸時代からです。
現代でも松竹梅は、吉祥(縁起が良い)を一番象徴する模様と言っても良いほどの立ち位置となっています。
目次
デザインにおける竹・竹文(たけもん)

伊勢型紙に彫られた竹文(たけもん)
竹の葉や節、笹の葉などを文様化(模様化)した竹文は、さまざまな形で表現されてきました。
平安時代後期から鎌倉時代には、竹文が多く図案化されていたことが絵巻物に描かれています。
辻が花染に織文のない自由なデザインがあり、「小袖 白練緯地松皮菱竹模様(白地竹文辻ヶ花染小袖)」は、肩の部分を大きな松皮菱で染め、大小の竹幹を右の方から伸ばして、伸びやかな竹が表現されています。
能装束においては、竹の葉文がほとんど定型化していきます。
小袖は他の文様との組み合わせが多く、技法やデザインによって多様な表現がなされてきました。
型染めの中型や絵絣などにも、竹文が多く表現されてきました。
松竹梅文(しょうちくばいもん)

紅板締め,竹梅文,紅花染め
松竹梅の組み合わせて吉祥模様とするのは、中国における「歳寒三友」、すなわち寒さに耐え人生に益し、めでたく、賞すべき三つのものという思想に由来します。
松と竹の四季で変わらない緑を保つ姿は永遠性とされ、寒い季節でも花を咲かせる梅は清らかで格調高い美しさとして褒め称えられました。
この三つが揃って吉祥の象徴として一般化し、デザインに用いられるようになったのは室町時代ごろとされます。
江戸時代の腰巻には、必ず吉祥文が用いられましたが、松竹梅も多く用いられます。
三つを具象的に描くものや、松を松皮菱で表現するもの、竹を幹で表すものなど、三者の取り合わせによって豊富なデザインが生まれました。
必ずしも松竹梅の三つがセットになるわけではなく、どれか一つが描かれない模様なども表現されます。
竹に雀文(すずめもん)
竹と雀の模様の組み合わせは、自然の情景を表現したものです。
上杉家や伊達家などではこれを家紋とし、上杉神社に所蔵されている染織品にはこの紋章が多く表現されています。
竹に虎文(とらもん)
竹と虎の組み合わせは、日本には現実に存在しないモチーフですが、この文様が生まれた理由の一説には、文禄・慶長の役(1592年〜1598年)で朝鮮の竹林と虎を実際にみた武将たちの好み
によるというものがあります。
近世の寺院城館の襖絵や、染織品では絵絣や男物の襦袢(着物の下に着る肌着)や羽裏(羽織の裏地に使う生地)などに多く用いられました。
桐竹鳳凰文(きりたけほうおうもん)
鳳凰は、中国神話に現れる伝説上の動物である麒麟と同じように、王の治世がうまくいき、天下が平和である時に出現するとされたことから、天下の象徴や善政の世の中のシンボルとされていました。
鳳凰は、桐の樹木に棲みつき、竹の実を食べるとされて、これに由来して鳳凰が桐と竹と結びつき、「桐竹鳳凰文」として模様化(文様化)されました。
桐竹鳳凰文は、天皇の黄櫨染の御袍にも用られました。
愛知県の熱田神宮に伝わる室町時代(15世紀)に作られたとされる女子の表着「萌黄小葵地桐竹鳳凰文二重織」は、桐竹鳳凰文の古様を伝えるものとして貴重な資料となっています。