京都は歴史のある染織品の生産地であり、江戸時代からこの地で染織されるものは「京染」や「京染物」などと称されました。
京友禅や西陣織など、高度に分業化した産地であったため、加工業者と流通業者を取り持つ調整役となっていた悉皆業を営む「悉皆屋」が、さまざまな状況に対応しながら顧客の需要を満たしていました。
悉皆屋という言葉は、今では聞く機会はほとんどありませんが、江戸時代から昭和にかけて京都や江戸などの呉服屋染織業界の加工仲介業を担い、流通を支えていました。
呉服・染織業の仲介役を担う悉皆屋(しっかいや)
「悉皆」という言葉には、「残らず、すべて」などという意味があります。
着物や反物に関わる加工には、染返しや洗張り、湯通し、幅出し、しみ抜き、防水、紋描きなど多岐にわたる工程があり、その加工全般を請け負う仲介業者として「悉皆屋」が存在したのです。
仲介役としては、消費者と染織業者との仲介や、問屋や呉服屋と染色工場(職人)のやり取りを調整し、スムーズに仕事が進むように進行役を務めることが重要な仕事でした。
悉皆屋は、多数の職人に外注するため「信頼と支払い能力」が重要であり、悉皆屋が潰れてしまうと、多くの職人が連鎖的に困ることも多くありました。
呉服屋は悉皆屋を通して、仕事を一括して手配できました。
最終的に出来上がった商品は、あくまでも表に出ている呉服屋が「携わったもの」であり、商品の進捗をまとめた悉皆屋や実際に染めたり織ったりした職人の名前が表に出ることはほとんどなかったようです。
現在は着物の需要の減少によって、悉皆屋を営む人も非常に少なくなってきています。