薩摩絣は、文献によると、江戸時代の元文5年(1740年)に織り始められたと記録されています。
薩摩絣(さつまがすり)とは?
慶長14年(1609年)、薩摩は琉球を属領として、それ以後は琉球産の織物の全生産量の3割を、租税として納めることを定めていました。
したがって、薩摩で絣が織られる以前に、すでに琉球から絣が輸入されていたのです。
琉球産の絣は、薩摩を経由して海路で大阪に運ばれ、ここからさらに全国に「薩摩絣」として販売されていたのです。
明治維新によって、藩制が廃止されるまで、薩摩絣は、琉球産のものと、薩摩で織られたものの2種類あったということです。
麻織物の上布も、同様のことが言えます。
琉球で織られる宮古上布や八重山上布などは、薩摩に租税として納められ、薩摩上布の名で販売されていたものがあったのです。
薩摩絣(さつまがすり)の特徴
薩摩絣は、明治時代から大正にかけて、藍染で染められた糸で紺地にし、模様部分が白い絣織物を、「紺薩摩」とし、白地に藍染で染めた糸を模様部分に使用した絣織物が「白薩摩」と呼ばれ、高級な藍染木綿絣織物として人々に愛されてきました。
機械織りが全国的に普及したことによって、他の産地の安い絣織物に押され減産し、第二次世界大戦によって大きな打撃を受けましたが、戦後、地元の人々によって再興されました。
現在、薩摩絣は、宮城県都城市にある東郷織物などで生産されています。
薩摩絣は、木綿の絣織物といえど、最高級の綿糸を用い、絣糸を作る高い技術と機織の技術を駆使しているため、高価で高級な着尺に位置づけされています。
薩摩絣の技法は、大島紬の製造工程と、ほとんど同じです。