アールヌーボー(Art Nouveau)とは?アールヌーボーの特徴と、それに続くアールデコ(Art Deco)について


アールヌーボー(仏:Art Nouveau)は、19世紀末期から20世紀初頭にかけて興った美術、デザインの新様式運動のことを表します。

フランス語でアール(Art)は「芸術」、ヌーボー(Nouveau)は「新しい」という意味で、直訳すると「新芸術・ニューアート(new art)」になります。

語源としては、ドイツのハンブルク出身の美術商人で、日本や東洋の美術品を扱っていた「サミュエル・ジークフリート・ビングSiegfriedBing(1838年〜1905年)がパリで開店した工芸品店の名前が「Maison de l’Art Nouveau(Art Nouveau)」であったことに由来しています。

サミュエル・ジークフリート・ビング(SiegfriedBing)(1838年〜1905年)S. Bing en kimono

サミュエル・ジークフリート・ビング(SiegfriedBing)(1838年〜1905年),Unknown (before 1895), Public domain, via Wikimedia Commons,Link

英語では、モダンスタイル(modern style)とも言いましたが、「Art Nouveau」としても1901年に文献に初出しました。

アールヌーボー(Art Nouveau)とは?

19世紀半ば、イギリスでいわゆる「産業革命」が起こります。

綿織物の製造における紡績機ぼうせききの開発、製鉄業の成長、蒸気機関の開発による動力源の改革、蒸気船や鉄道が発明されたことによる交通革命等、人の手ではなく、産業機械の発明と発展が大きく経済を動かし始めたのです。

初期の機械生産は、いいかげんで大ざっぱなものづくりであり、品質的には人の手が生み出すものと比べると、非常に劣るものでした。

そんな中、異常な速度で「下手なもの」が量産されていき、伝統的に手仕事が育んできた生活や文化、美意識をも奪っていくような機械生産に、意義を唱える人々も少なくありませんでした。

その代表的な人物が、ジョン・ラスキンとウィリアム・モリスです。

急速に機械化が進んだ19世紀において、ジョン・ラスキンやウィリアム・モリス、ロバート・オーウェンらは、職人の技術の重要性を理解し、それを時代に合わせて再生し活用することが必要だと考えていました。

産業を機械化することで、さまざまな不確実性が取り除かれるという当時の世論の中で、モリスとラスキンは、まさにそうした不確実性こそが人間の価値であると考えたのでした。

アーツ・アンド・クラフツ運動(Arts and Crafts Movement)を主導したウィリアム・モリスWilliamMorris(1834年〜1896年)は、産業革命による工業化を批判し、職人の伝統技術を守り復興させようという主張でした。

アーツ・アンド・クラフツ運動の思想が、社会や生活に芸術性を取り戻そうという動きにつながり、アールヌーボーの運動につながったのです。

アールヌーボーの特徴

アールヌーボーは、当時の粗悪な大量生産品への反発から、職人の手による繊細で入り組んだ装飾に力を注ぎます。

アールヌーボーは、曲線や曲面を多用するのが特徴的です。

デザインのモチーフとしては、蔓草つるくさ百合ゆりあざみなどの植物やトンボやセミ、ヘビなどの動物、女性の長い髪などが多く用いられました。

しかし、第一次大戦勃発によって、社会情勢が大きく変化し、装飾性が高く大量生産に向かないアールヌーボーは時代にそぐわなくなり、約20年で幕を閉じてしまいました。

その後、流行は近代的な装飾様式のアールデコへと移行していくのです。

アールヌーボーに続く、アールデコ(Art Deco)

アールデコ(仏:art deco)は、1920年〜1930年代にヨーロッパおよびアメリカ合衆国(ニューヨーク)で流行した装飾芸術の一つで、単に「デコ」とも言われます。

「アールヌーボー」に続いて現れたもので、幾何学きかがく模様の華やかな色彩が特徴です。

アールデコは直訳すると「装飾美術」で、1925年にパリで開かれた芸術と産業を融合させようという目的の「現代装飾美術・産業美術国際博覧会(Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels modernes)」の短縮形として生まれました。

英語の「art deco」は、1966年に文献に初出しています。


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