紫色は、その希少性から世界中のさまざまな場所で、高貴な色・尊い色に位置付けられていました。
地中海沿岸では貝紫(Royal purple)による紫の染色があり、その希少性から王侯貴族を象徴する色とされて、ギリシャやローマへと受け継がれました。
貝紫は、アクキガイ科に属した巻貝のパープル腺と呼ばれる分泌腺からとれる染料で、西洋では珍重されていました。
目次
染色における貝紫(かいむらさき)
貝紫の染色における特徴として、色合いの美しさはもちろんのこと、染色物の堅牢度の良さが挙げられます。
堅牢度とは、さまざまな条件下において色落ちするかしないかの度合いのことです。
貝紫の染色方法は、色素をそのまま糸や布に塗りつける方法と、建染めする方法の2種類あります。
貝紫の色素をそのまま着色する染色方法(直接染法)
中南米のインディオは、生きている貝を海で採り、直接糸にすりつけて色素を付着させ、太陽の光に当てることで発色させていました。
この方法は、簡易的ではありますが色の調節が難しく、着色の際にムラが出やすいため、何回も染めることで染めムラをまぎらわせていく必要があります。
常に新鮮な生きている貝が必要で、天候の良い日を選ばないとうまく染めることができません。
貝紫の色素は、貝の中では還元状態にあり、黄色い色をしていますが、酸化されると紫色に変わります。
貝紫の建染め(還元法)
貝紫は、建染め染料の染め方と同じように染められます。
貝紫の色素は、藍と同様に水に溶けない性質(不溶性)があります。
染色に用いるためには、不溶性の色素を還元することで、いったん水に溶ける可溶性に変え、水に溶けた色素を繊維にくっつけ、酸化することで不溶性の色素に戻す必要があります。
パープル腺を切り出し、直射日光の元で、酸化発色させます。
数日間、しっかりと日光に当てて、濃紫色に発色していったものが原料になります。
紫の色素だけを酵素で分解して、色素のみを取り出し、乾燥させることでも貝紫の色素粉末ができるようです。
染色の際は、温めたアルカリ液に還元剤のハイドロサルファイトを混ぜて染められます。
アルカリ液は、苛性ソーダや、木灰から抽出する灰汁を使用します。
ハイドロサルファイトで還元すると、濃い黄色のロイコ体の液ができ、液の表面には、藍染における液面に浮かぶ藍の華のように、赤紫色の泡立ったものができます。
ヨーロッパでは、この泡立ちを集めて紫色の顔料をつくり、それをフレスコ画に用いたともいわれています。
濃い黄色のロイコ体の液に、ウールやシルク素材を入れ、一定時間浸染し、その後繊維を引き上げてしっかり絞り空気中で酸化させると、美しい赤紫色に発色していきます。
染色後には、水洗いし(絹の場合は薄めた酢酸液につけて中和させた後水洗い)、脱水した後、天日の元で乾燥させ、中性洗剤を入れた液の中で煮沸しながらソーピングします。
この染め方であれば、染色時のムラが直接染法よりも出にくく、原料の保存ができ、天候に関わりなく染色をすることができます。
貝紫の色素成分
貝紫の色素の主成分は、臭素を含むインディゴ誘導体である「ジブロモインジゴ(6,6′-dibromoindigo)」と呼ばれる有機化合物です。
赤色色素であるインジルビン(indirubin)もかなりの量含まれており、その他にも青色の色素も含有されているようです。
日本における貝紫の歴史
ヨーロッパと同様に、日本においても紫色は、高貴な色として歴史的にも珍重されてきました。
日本における紫色の染めといえば、古代から紫草が主に使用されてきました。
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紫色を表現するためには、紫草以外にも、藍の青と紅花の赤を活用することで紫色にしたり、江戸時代になると蘇芳が利用されたりと、貝紫から抽出する以外の方法がとられてきました。
日本において、染色の材料として貝紫が一般的に使用されるまでには発展しなかったのです。
ただ、貝紫の使用例がないわけではなく、三重県志摩の海人が、海に潜る時に着用した衣類や手拭いなどの着色に、石や岩の多い波打ちぎわに生息しているイボニシの色素を用いていたようです。
戦後以降、染織家から注目を集めるようになってから一部で作品に活用されるようになったというのが、日本における貝紫の歴史なのです。
【参考文献】『月刊染織α1984年4月No.37』