用と美と堅牢。生産者は5年、10年先の将来を見据えたものづくりへ


「用と美」という言葉があります。

この言葉を聞くと、「民藝運動の父」と呼ばれる柳宗悦(1889年〜1961年)を思い浮かべる方も多くいるのではないでしょうか。

名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝」と名づけ、民藝には美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。

人々の暮らしの営みのなかから生まれた民藝には、「用」にきちんとひも付いた「美」が宿っている。豪華な装飾がほどこされ、観賞用の作品が主流となってきていた工芸の世界において、あたらしい美の価値観やモノの捉え方を提示したのです。

「用と美」と「堅牢」

1987年1月21日、古民具店を経営していた堀切辰一氏が、『襤褸達の遍歴』という本を出版しました。

本書の中で、衣類に関しては特に、用と美のほかに「堅牢」という項目が必要ではないだろうかと主張しています。

その文章が、非常に良いものでしたので、以下に引用します。

生活用具は「用」と「美」の二つの要素から成り立っている。

他の場合でも同じであろうが、特に衣類に関しては用と美のほかに「堅牢」という項目が必要ではないだろうか。用を広義に解釈すれば堅牢を含めているだろう。私は然し衣に関しては「堅牢」は用と美に等しい比重をもつ項目だと思う。

私の母は明治十九年生まれであった。生前聞いた話の中に『女は嫁ぐ時、二十年程は着物(外出着)を新調しなくてよい位の数(平均して袷(裏地のある着物)二枚、単衣二枚)をもってゆくことが、きまりになっていた。裕福な家と貧しい家とでは数や質に大きな差はあったが・・・』と語ったことがある。

自分で織り、縫いあげるのであるが、祖母や母、姉や妹達も手伝ってくれた。これは祝ごとであるから一家で力を合わせたのである。

嫁ぐ娘は今着るものが二十年の後々まで着られるように、入念に織り丁寧に縫いあげただろう。二十年後でも着られる為にはそれに相応しい柄ゆきでなければならない。

華美なことが罪悪に類する程忌み嫌われた時代であったとしても、色や柄があまりにも地味すぎる程のものを織ったのは、二十年間その着物を耐え凌がせて使用しなくてはならなかったからであろう。「堅牢」が「美」よりも重要視される所以である。

五、六十年前まで庶民が衣服にもとめた要素は「堅牢」こそが主で「用」と「美」はそれに従したものではなかっただろうか。

衣装は「美」こそがそのすべてで、「用」がそれに準じ、「堅牢」などは悪である。そう考えられる時代になった。流行にとり残されたものは、それがどの様に本来の目的にかなったものでも、全て放棄される運命にある。今そんな時代である。

五、六十年前慎しく、二十年後のことを考えながら織り、縫いした人達に比べ、今の私達は果たして裕福なのであろうか。

二十年も先のことを考えて自分が着る衣服をつくり(そうせざる負えなかった)、一着一着をそれぞれ補修しながら世代を超えて衣服が引き継がれていた時代があったということは、改めて現代を生きる人々が認識すべきことでしょう。

5年、10年先の将来を見据えたものづくりへ

今でこそ持続可能な社会の実現というビジョンを掲げ、環境問題にも関心が高まってきていますが、衣服関しては、大量廃棄や生産過多などさまざまな課題があります。

この問題に関しては、消費者が変わるよりもまずは衣類を作る生産者の意識と行動が変わらなければならないと感じます。

目先を見据えたものづくりではなく、20年とまではいかずとも、5年、10年先の将来にどのようなものを残すことができるのかをという意識が大事なのでしょう。

消費における価値観をアップデートする必要がある

衣類においては、古着市場も活発になっていますし、廃棄量を削減するために服のシェアリングサービスが始まっていたりと、衣類を取り巻く消費の環境も変化してきています。

ものが溢れる時代に、大量消費ではなく、値段に関わらずいかに一点一点大事に扱っていくか。

数年先の未来を考えて、もの購入することは大切なのでしょう。

衣類に限らず、よりものを大切に扱えるように、消費における価値観をアップデートする必要が迫ってきているように思えます。


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