染色において、模様をつけるためのさまざまな技法が世界中で用いられてきました。
模様をつけるためには、基本的には染まらない部分をつくる防染の技術を使用します。
防染とは、文様や文字などの部分に染料が染まらないように、糊や、蝋、泥などを付着させたり、糸で括って絞ったり、板に挟んで締め付けたりして、圧力を加えて染色する技法する技法をいいます。
今回は、布に付着物を付けることで模様を表現する技法について詳しく紹介していきます。
目次
防染剤の種類
防染剤として使われてきたものは、世界中にさまざまあります。これらは、布に付着して染まるのを防ぐ役割をもっていました。
日本においては、室町時代中期から後期にかけて、米糊による防染が開発されたと考えられています。
蜜蝋・木蝋・糯粉(もち米を製粉して作られた米粉)・大豆粉・小麦粉・こんにゃく粉・蕎麦粉・わらび粉・タラカントゴム・白土などが挙げられます。
共通点としては、ほとんどが食料になるところです。食料にならない白土は、顔料の一つとしても古くから用いられています。
アルカリと防染剤
防染剤と関わりが深いものが、アルカリです。例えば、こんにゃく粉にアルカリを加えると凝固してきます。
アルカリとして最もよく使われるのが消石灰で、消石灰自体が水に混ぜると沈澱し、凝固していきます。
デンプンは水と一緒に加熱することで糊化するため、小麦粉や蕎麦粉や糯粉などを煮て糊の状態にしたものに石灰水を加えたり、糊化させないまま石灰水で練って使う場合もあります。
デンプン質を石灰で練ったような糊を一陣(珍)と呼び、中国での更紗の一種である印花布においてもよく使用されてきました。
印花布の糊は、大豆粉や豆腐を石灰か石灰水で練って使われるため、絹に使うと糊で伏せた部分がダメージを受けてもろくなってしまう可能性があります。
防染剤の表現方法
防染剤を使用して模様をあらわす表現方法として、大きく手描きと版染めの2種類に分類できます。
手描き
手描きは、筆や刷毛に防染剤をつけて布に模様を書くのはもちろんのこと、防染剤の持つ流動性を利用して描く方法があります。
インドネシアのジャワ島やバリ島では、蜜蝋を防染剤に、チャンチン(Canting)と呼ばれる銅製や真鍮の容器に細い口がついたものが使われてきました。
日本では、糊を筒に入れ絞り出して描く筒描きの技法が発達しました。筒には、布製と紙製があり、形は円錐形をしています。
中に入れた糊を細い口から絞り出して描きますが、糊が出る先端を丈夫にしておくために、筒金を筒側の形にそって内側から固定します。
筒金の先の太さを調節することで、描く糊の線の細さが変わってきます。
版染め
版で防染剤を使うのは、版面に防染剤をつけて転写する方法で、染め上がりは防染剤で生地を覆ったところが白く抜けて模様となります。
インドのジャイプールで特に有名なブロックプリント(Block Print)は、手彫りされた木版を使って布にインクを押し付けていくものですが、防染における版染めの場合は、インクの部分が防染剤になっているというイメージです。
型染め
また、型紙を布の上に置いて、型紙の上から篦を使って糊を均一になでるように置くことを型置き、型付けと呼んだりします。
型紙を上げると、型が彫ってある部分に糊がおりて、乾くと染めに取りかかれます。
染め上げると、糊の部分が防染されているので模様部分が白く抜けます。型を使って防染してから染色するので、一連の作業を型染めと呼びます。
日本における防染剤の歴史
日本の染め物には、中国を通じて受け取った染め物を日本的な考え方や技法に置き換えて、整理していったという独自の歴史があります。
防染の技術に関しては、三纈と呼ばれていましたが、「上代の三纈」「天平の三纈」などと称して、三種類の染色技法が、奈良時代には(710〜794)中国からすでに伝わっていたのです。
そのなかの技法の一つに、臈纈があります。臈纈は、溶かした蝋を防染剤として生地に塗り、ろうを塗った部分だけが染まらずに模様となる技法です。
奈良の正倉院には、臈纈(ろうけつ染め)は約60種あるとされ、その遺品は「押臈纈」と称される版型法によるものが圧倒的に多いです。
蜜蝋は、古代に薬用として輸入されましたが、高価なものであったためか、平安時代以降に臈纈はみられなくなっています。
関連記事:三纈(さんけち)とは何か?古代の染色技法である纐纈(こうけち)、夾纈(きょうけち)、臈纈(ろうけち)について
日本の型染めの歴史も古く、極小の美を追求する江戸小紋や小紋よりも大きい柄の長板中型など多様に発展してきました。
埼玉県川越市にある喜多院に所蔵されている「職人尽絵屏風」には、型置きをしている職人尽絵が残っています。
狩野吉信(1552年〜1640年)に描かれたものであると判明しており、1615年頃に描かれたものではないかと考えられているので、この頃にはすでに防染糊を置く型置き師という仕事がありふれていたことが推測できます。
型付けから、浸染や引き染めの行程まで、紺屋の仕事の行程が詳細に描かれている貴重な資料となっています。
【参考文献】水上嘉代子「喜多院所蔵 職人尽絵屏風「型置師」に描かれた染物・型付技法に関する一考察」