四季のうつろい、地理的、歴史的、文化的背景などさまざまな影響を受け、日本の伝統色とされている色の名前は、非常に多くの種類があります。
数々の色の中でも、藍色、紅色、紫色の3つの色は歴史や色の豊富さなど、日本人にとってとりわけ関わりが深く、日本を代表する色であったといえます。
紫草(むらさき)による紫根染(しこんぞめ)
紫色は、その希少性から世界中のさまざまな場所で、高貴な色・尊い色に位置付けられていました。
紫草は、「正倉院文書」にも記載があり、奈良時代には栽培されていたことあると考えられています。
奈良時代の7世紀後半から8世紀後半にかけて編集された、現存する日本最古の歌集である『万葉集』には、紫草が登場する歌が10首あります。
額田王が詠んだ、「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」というよく知られている歌もあります。
「あかねさす」は「紫」の枕詞で、紫野は染料をとるために紫草を栽培した野のことです。
紫草は、丈が60cmくらいで、夏になると小さな花が咲き、染料となるのは、花でなく、大根のような形をした根部分です。
白い花が群れて咲くことから、「むらさき」の名前があるともいわれています。
紫草の赤紫色の根を乾かして保存したものは染料のほか、薬用としても珍重されていた根は紫色で太く、ヒゲのような細い根っこがあり、地中にまっすぐのびています。
根には、シコニン、アセチルシコニン、イソブチルシコニンなどの色素が含まれています。
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南部紫根染(なんぶしこんぞめ)
江戸時代、現在の秋田県の鹿角市花輪や岩手県の盛岡市あたりは南部藩に属しており、良質な紫草が産したことで、南部藩の特産品として江戸に上納されていました。
花輪の街は古くから紫根染が有名で、山を隔てた盛岡の問屋に卸され、そこから江戸へ送られていました。
南部産の紫草を使うため、「南部紫根染」という名前で知られ、南部信直が盛岡城をおさめて以後、代々国産の紫草として保護奨励に力をいれ、多く山野に自生した紫草と、独自に発達した素朴な絞りの技法によって「南部紫」とも呼ばれていました。
南部紫根染の絞り柄としては、大枡、小枡、立湧、花輪の4種類あります。
紫草だけではなく、「南部茜染」としてこの南部地方では茜も栽培されていました。
明治維新で南部藩の保護を失ったため、一時は完全に紫根染が途絶えてしまいました。
紫草(むらさき)の薬用効果
紫(根)は、漢方薬として重用され、中国大陸では古くから局所的に作用して炎症を治す消炎薬として用いられ、明代(1368年〜1644年)の医学書にも登場しています。
根を煎じて飲むと解毒や解熱、利尿作用などがあるとされています。
日本では江戸時代に外科医の華岡青洲が「紫雲膏」を作り、消炎、鎮痛、止血、殺菌、湿疹や火傷などの外用薬として、現在でも販売されています。
江戸時代の薬種問屋では、色素の多いものは染色用にし、色素が少ない、または黒い紫根は医療用にと分けていたことが文献に出てくるようです。