平安時代に衣服を深紅色に染めることが流行した際に、「火色の禁(かしょくのきん)」と呼ばれる禁制が出されました。
深紅色に染めることを禁じた「火色の禁」
深紅色は、貞観年間(859年〜877年)以来、「火色」とも呼ばれ、しばしば流行し、それによって禁制が出されましたが、人々は簡単には守られなかったようです。
そのため、延喜17年(917年)に平安時代初期の漢学者である三善清行が火色と火災との関連や、高価で手間のかかる紅花を使用した奢侈を理由に、「浅紅軽黄、未だ火色に及ばざる者」に染め色を限定して深紅色の禁止を奏議(君主に意見を申し上げること)しました。
その結果、918年に検非違使(平安京の治安を守るために創設された官職)及び弾正台(非法の監察や治安維持などを主要な業務とする官庁の一つ)に通達し、火色の使用を禁じました。
しかし流行はやまず、延長4年(942年)・承平4年(934年)・天慶5年(942年)にも火色に対する禁令が出ました。
火色を染めた紅花
赤味のある色を染める天然染料として古くから人々に活用されてきたのが、茜と紅花です。
茜(学名:Rubia argyi)は、アカネ科アカネ属のつる性多年生植物で、日本においては、赤色を染めた最初の染料と一つと考えられています。
紅花(学名:Carthamus tinctorius)は、キク科ベニバナ属で花弁を植物染料にします。
「紅1匁(1匁=3.75g)は金1匁と同じ」と昔は言われていたほど、紅花から採取できる紅は古くから貴重であり、上記の禁止令が出されたのもうなずけます。