室町時代の勘合貿易(かんごうぼうえき)と染織品


勘合貿易かんごうぼうえき」は、室町時代に勘合(勘合符かんごうふ)を用いて行なった日本と中国(明)との貿易形態を表します。

室町幕府3代目将軍の足利義満あしかがよしみつ(1358年〜1408年)は、幕府の財政難を打開するために、倭寇わこう(13世紀から16世紀にかけて、朝鮮半島や中国大陸の沿岸部を荒らしていた海賊)の取り締まりと引き換えに、朝貢ちょうこう(外国の使者などが朝廷に貢物を差し出すこと)という形式で日明貿易にちみんぼうえきを開きました。

室町時代の勘合貿易(かんごうぼうえき)と染織品

日明貿易船旗 万暦十二年(1584年)重要文化財(山口県文書館蔵)Japan-Ming Trade Ship Flag 1584

日明貿易船旗 万暦十二年(1584年)重要文化財(山口県文書館蔵)Unknown C16 brushman, Public domain, via Wikimedia Commons,Link

勘合貿易かんごうぼうえきの際、中国(明)は幕府に対して勘合かんごう勘合符かんごうふ)を発行し、勘合かんごうを所持した船舶とだけ交易が認められていました(1404年)。

そのため、中国(明)との交易がしたい人々は、勘合(勘合符かんごうふ)を取得するために、必ず足利将軍を介さねばなりませんでした。

事実上は、日明貿易の権利は幕府に独占されており、幕府は貿易の利益を献納させて、財政を立て直しました。

勘合貿易かんごうぼうえきは、一時中止されたこともありましたが、16世紀半ばまで続きました。

日本からの輸出品としては、刀剣ややり、銅、扇、漆器、硫黄いおうなどが輸出されます。

中国(明)からの輸入品としては絹織物や生糸きいと明銭みんせん永楽通宝えいらくつうほう)や美術品、薬剤などを輸入していました。

永楽通宝(えいらくつうほう),YONG LE TONG BAO Eiraku Tsūhō Gin SILVER COIN FRONT

永楽通宝(えいらくつうほう),THG, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons,Link

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永楽通宝えいらくつうほうは、「永楽銭えいらくせん」や「永銭えいせん」などとも呼ばれていました。

硬貨の中心にある穴の上下に永・楽、左右に通・宝の文字があり、永楽の字が瑞祥ずいしょう(めでたいことが起こるという前兆)の意味をもつため、模様(文様もんよう)や紋章によく持ちいられました。

永楽通宝えいらくつうほうのデザインは、男物の浴衣ゆかた襦袢じゅばんかすりの模様(文様)などにみられ、庶民的で洒落しゃれっ気のあるものとされていました。

輸入品は、国内では「唐物からもの」として珍重され、流通させることによって、室町幕府は莫大な利益を得ることができ、室町時代の文化に大きな影響を及ぼしました。


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