鎌輪奴文は、「鎌の絵」と丸い輪「○」と、「ぬ」の三文字を組み合わせた模様(文様)です。
鎌井枡文は、「鎌」と「井」と「三桝(大・中・小の三つの枡を入れ子にし、それを上から見た形を文様化したもの)」を組み合わせた模様(文様)です。
デザインにおける鎌輪奴文(かまわぬもん)・鎌井枡文(かまいますもん)
江戸時代には、「判じ物(はんじもの)」と呼ばれる文字や絵画に隠された意味を当てるなぞ解きが流行し、判じ物文様(はんじものもんよう)として生まれた模様が多くありました。
江戸時代前期に、男伊達(男としての面目が立つように振る舞うこと)の衣服に「鎌輪奴文」が用いられます。
鎌輪奴文は、「鎌の絵」と丸い輪「○」と、「ぬ」の三文字で「構わぬ(かまわぬ)」と読ませるために作られた模様です。
江戸時代後期の文化文政時代(1804年〜1830年)から天保(1831年〜1845年)にかけて活躍した江戸の歌舞伎役者である7代目市川團十郎が、文化年間(1804年〜1818年)に「鎌輪奴文」を舞台で用いたことから流行します。
江戸では衣服から手拭い、瀬戸物、櫛、簪などに良く描かれました。
鎌井枡文(かまいますもん)
鎌輪奴文が流行したことに対抗して、市川男女蔵が考案したのが「鎌井枡文」でした。
「鎌井枡文」は、「構います(かまいます)」と読ませるために作られた模様です。
歌舞伎で用いられる模様(文様)は、歌舞伎文様として江戸時代前期から一般の服飾(ファッション)に影響を与え、流行の発生源にもなっていました。
例えば、「斧琴菊文」は、斧(よき)と琴と菊の花の模様を染め出して「良き事聞く」という縁起がよい意味を込めたデザインなどがあります。