デザインにおける永楽銭(えいらくせん)


中国、明代の第3代皇帝である永楽帝えいらくていが在位していた期間である永楽えいらく年間(1403年〜1424年)に鋳造ちゅうぞうされたはじめた銅製銭貨である永楽通宝えいらくつうほうは、日本では室町時代に日明貿易や倭寇わこう(朝鮮および中国大陸沿岸に出没した海賊)によって大量に輸入され、江戸時代初期まで一般通貨として流通していました。

永楽通宝えいらくつうほうは、「永楽銭えいらくせん」や「永銭えいせん」などと呼ばれていました。

寛永13年(1636年)、徳川幕府は寛永通宝かんえいつうほう(日本の江戸時代を通じて広く流通した銭貨で幕末まで作られた)を鋳造ちゅうぞうしはじめ、寛文年間以降全国的に流通し始めると、それまで流通していた永楽通宝えいらくつうほう永楽銭えいらくせん)や渡来銭などの旧銭は次第に駆逐されていきました。

デザインにおける永楽銭(えいらくせん)

永楽通宝(えいらくつうほう),YONG LE TONG BAO Eiraku Tsūhō Gin SILVER COIN FRONT

永楽通宝(えいらくつうほう),THG, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons,Link

硬貨の中心にある穴の上下に永・楽、左右に通・宝の文字があり、永楽の字が瑞祥ずいしょう(めでたいことが起こるという前兆)の意味をもつため、模様(文様もんよう)や紋章によく持ちいられました。

永楽銭えいらくせんのデザインは、男物の浴衣ゆかた襦袢じゅばんかすりの模様(文様)などにみられ、庶民的で洒落しゃれっ気のあるものとされていました。


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