本書を読んでデザインというものが少しわからなくなったとしても、それは以前よりもデザインに対する認識が後退したわけではない。それはデザインの世界の奥行きに一歩深く入り込んだ証拠なのである。
グラフィックデザイナーで、武蔵野美術大学教授を務める原研哉氏の著書で2003年に初版が発売された『デザインのデザイン』のまえがきに、上記の言葉があります。
約20年前に出版された本になりますが、その内容はまったく陳腐化しておらず、小手先の「デザイン」ではなく、デザインとはなにか?を考えさせられる本になっています。
デザインを考えるエッセンスが詰まっていますが、その中から一部取り上げてみます。
目次
見慣れた日常の中に無数のデザインの可能性
新しく奇抜なものをつくり出すことだけが創造性ではない、と語っています。
見慣れたものを未知なるものとして再発見できる感性も同じ創造性である。既に手にしていながらその価値に気づかないでいる膨大な文化の蓄積とともに僕らは生きている。それらを未使用の資源として活用できる能力は、無から有を生み出すのと同様に創造的である。
整数に対する少数のように、ものの見方は無限にあり、そのほとんどはまだ発見されていない。それらを目覚めさ活性させることが「認知を肥やす」ことであり、ものと人間の関係を豊かにすることに繋がる。形や素材の斬新さで驚かせるのではなく、平凡に見える生活の隙間からしなやかで驚くべき発送を次々に取り出す創造性こそデザインである。
あたりまえの日常が、「知らなかったこと」のように現れてくる。そんな創造性の大切さを語っています。
日常をリ・デザイン
原氏は2000年に「リ・デザイン展」を主催し、日本のクリエーター32人に、日常にありふれているものに対して新たな視点でのデザインを依頼しました。
日用品、建築、広告、ファッション、アート、写真等、そのジャンルはさまざまです。
日用品は長い年月を経て現在のデザインとなっていますが、新しい考え方の切り口から物事を捉えること、原氏の言葉を借りると「差異の中にデザインを発見する」のがこの展示会でした。
2点、本書の中から気になったものを紹介します。
四角いトイレットペーパー
トイレットペーパーをあえて四角くして、紙が出にくくデザインしたものです。
スルスルと紙がでにくくすることで、無駄に使うことなく、結果として資源の節約に繋がる。
ポイントは「資源を節約しよう」というメッセージを、デザインによって表現したという点です。
記念日のためのマッチ
落ちている木の枝の先に、発火材をつけたマッチを作ったものです。
自然と火とそれを扱う人間。それぞれの存在を感じさせるデザインとなっています。
記念日に特別なマッチで火を灯すという、「記念日のためのマッチ」というテーマとなっています。
なにもないがすべてある
原氏の代表的な仕事といっても良いのが、無印良品でのアートディレクションです。
無印良品についての方向性について、『デザインのデザイン』にこのように書いています。
最適な素材と製法そして形を模索しながら、「素」あるいは「簡素さ」のなかに新しい価値観あるいは美意識を生み出すこと。また、無駄なプロセスは徹底して省略するが、豊かな素材や加工技術は吟味して取り入れる。つまり、最低価格ではなく豊かな低コスト、最も賢い低価格帯を実現していくこと。それが無印良品の方向である。
最適な素材と形を探りながら無駄を省き、もの自体の特徴が現れるような省略化をデザインする。単純な省略ではなく、「なにもないがすべてある」という究極のデザインを追い求めるのが無印良品の姿勢なのです。
このコンセプトを踏まえながら、彼の無印良品でのアートディレクションの仕事を見てみると、非常におもしろいです。
彼が無印良品での仕事について語っている講演が無印良品のサイトに掲載されています。非常に参考になります。
参照:Visualize the philosophy of MUJI
成熟した文化のたたずまいを再創造する
原氏は、高度経済成長を経て、経済的にも文化的にも成熟したといっていい日本において、自分たちの文化や独自性を客観的に把握して、そのたたずまいを再構築する必要があると指摘しています。
「異国文化」「経済」「テクノロジー」という世界を活性させてきた要因と、自分たちの文化の美点や独自性を相対化し、そこに熟成した文化圏としてのエレガンスを生み出していくことを、これからはっきりと意識する必要がある。
成熟した文化のたたずまいを再創造する。おそらくは、そういうヴィジョンからの再出発がこの国には必要なのだ。
また、「にぎわい」という発想をそろそろやめた方がいいとも言っています。
「町おこし」などという言葉がかつて言い交わされたことがあるがそういうことで「おこされた」町は無惨である。町はおこされておきるものではない。その魅力はひとえにそのたたずまいである。
おこすのではなく、むしろ静けさと成熟に本気で向き合い、それが成就した後にも「情報発信」などしないで、それを森の奥や湯気の向こうにひっそりと置いておけばいい。すぐれたものは必ず発見される。「たたずまい」とはそのような力であり、それがコミュニケーションの大きな資源となるはずである。
日本が世界とコミュニケーションをする際に必要なこと、日本的な文化、自然感、歴史、哲学などを学び、いかにものごとの本質を捉えることができるのか。
『デザインのデザイン』を読み、どのようにデザインに向き合うのか、その姿勢を考えさせられます。